日本におけるユダヤ・ジェノサイド関連文献目録

(作成中、随時加筆していきます)

1945年

1945.8.8 米英ソ仏の四国間で国際軍事裁判所憲章(ロンドン憲章)が成立(戦犯裁判の方針決定)

「世界ユダヤ人会議」『朝日新聞』1945.8.22 一面(8月20日、ロンドンで開催された世界ユダヤ人会議で、議長スティーヴン・ワイズの開会演説として「欧州でドイツ側により殺害されたユダヤ人は五百万乃至六百万に上る」と報告したことを伝える)

「千万人の虐殺 恐怖の記録 ナチス起訴状」『朝日新聞』1945.10.20 一面(ニュルンベルク裁判の起訴状の内容を伝え、「アウシユヴイツツ俘虜収容所では百五十万人が殺されドイツ占領地下のユダヤ人九百六十万のうち五百七十万は行方不明となつたが、大多数はナチス叛逆人により殺戮されたと思はれる」と報じる)

「空前の大起訴状 ナチ・国際裁判の俎上へ」『読売報知』1945.10.20 一面(ニュルンベルク裁判の開廷を伝え、「特にアウシユウイツ収容所では約四百万人、マイダネクでは百五十万人の殺害が確認されてゐる、またナチ支配下のユダヤ人九百六十万人のうち五百七十万人が行方不明、その大部分がナチの陰謀で死に至らしめられたことは確実とされてゐる」と伝える)

1945.11.20~1946.10.1 ニュルンベルク国際軍事裁判

「ユダヤ人虐殺六百万」『朝日新聞』1945.12.16 一面(ニュルンベルク戦犯法廷において、12月14日、ドイツ秘密警察のウイルヘルム・ヘーテイル博士が、「ナチのユダヤ人撲滅運動によつて無残に殺戮されたヨーロツパのユダヤ人は六百万人に達すると言明した」ことを報じる)

1946年

原子林二郎「ナチ戦犯を裁く ニュールンベルグ裁判の教訓」『時事通信』1946.1.17

「ニュールンベルグの裁判」『世界週報』1946.2.9

末松満「ニュルンベルク裁判」『朝日評論』1946年春季号

原子林二郎「A級戦犯裁判の先例 ニュールンベルグ裁判の経過」『時事通信』1946.5.14

「廿二名に死刑要求 ナチ戦犯 判決は二週間後」『朝日新聞』1946.7.28 一面

「狂気の犯罪に最後審判の時」『朝日新聞』1946.7.28 一面

「ニュールンベルグ判決下る 十九名に有罪の断 シャハトら三名は無罪」『朝日新聞』1946.10.2 一面

「ニュールンベルグ判決 十二名に絞首刑 ソ連三名の無罪に反対」『朝日新聞』1946.10.3 一面

「ニュールンベルグ裁判の終結」『世界週報』1946.11.15

1947年

シェルドン・グルック「ニュルンベルグ裁判は違法であるか(一)」『法律時報』1947.1

シェルドン・グルック「ニュルンベルグ裁判は違法であるか(二)」『法律時報』1947.2

キャザリン・B・ファイト「ニュルンベルグ裁判要録」『海外旬報』1947.5

ヴォルフガング・ラングホフ『強制収容所の十三ヶ月 非政治的な記録』(原著1935年)、舟木重信、池宮秀意訳、創藝社、1947.11.30

1948年

舟木重信『ドイツ文芸展望 天馬に跨がるハイネ』大雅堂、1948.3.10(「ナチス・ドイツの恐怖政治の暴露 強制収容所の小説」の章)

1948.5.14 イスラエル国独立宣言

福井文雄「血ぬられた聖地」『婦人公論』1948.12

1949年

山川忍「ナチの暴虐 殺人工場」『雄鶏通信』1949.7

M「海外短信 ナチ文学追放 オーストリアで」『図書新聞』1947.7.2

1950年

茂木政「忘れ得ぬ人 海外特派員の手帖から シオンの兄妹」『週刊朝日』1950 春季増刊号

「ジョン・ハーシー『囲壁』 第二次大戦におけるユダヤ人の悲劇」『毎日新聞国際情報 世界の動き』1950.5.11

「海外消息 ナチス外務省の記録」『図書新聞』1950.8.2

武林文子『ゲシュタポ 世紀の野獣と闘った猶太人秘話』酣灯社 1950.10.1

ジョン・ハーシー『壁』(原著1950)、北川正夫、佐藤亮一訳、改造社、1950.10.25

清水幾太郎「人格の崩壊に抗して ナチス集中収容所の人々」『日本評論』1950.12

ヤスペルス『戦争の責罪』(原著1946)橋本文夫訳、桜井書店 1950.11.20(「ドイツのユダヤ人排斥はただの一度も全民族を挙げての行動とはならなかつた。ドイツのユダヤ人迫害は国民の協力を欠いていた。ユダヤ人に対して自発的に残虐行為が行なわれたことはなかった。」187頁)

淡徳三郎「煩雑さが迫力を欠く J・ハーシーの『壁(上)』」『時事通信』1950.12

1951年

淡徳三郎「ナチの迫害に戦く人々の生態描写 国際的視野に欠けたハーシーの『壁(下)』」『時事通信』1951.1

佐藤亮一「ハーシー『壁』について」『Books 読書人の雑誌』1951.1

「戦争の責罪 自己欺瞞を排す 照破せよ己の道徳的姿」(ヤスパース『戦争の責罪』書評)『図書新聞』1951.1.1

並河亮「C・V・ゲオルギウ『二十五時』とジョン・ハーシー『壁』 「人間」への二つの反省」『毎日情報』1951.2

1952年

1952.4.28 サンフランシスコ平和条約発効(連合軍占領時代の終わり)

田中愼次郎「原爆とジェノサイド 許せぬ大量虐殺 頼みの綱・防止条約」『図書新聞』1952.5.4

那須國男「アウシュヴィツ収容所の大火葬場 ユダヤ人医師A8450号の手記」『改造』1952.7(Tibère Kremer の訳と序文により、フランスの Les Temps modernes, no 65, mars 1951, no 66, avril 1951 に連載された Miklos NYISZLI, « S.S. Obersturmführer Docteur Mengele » からの部分訳)

エルンスト・ヴィーヒエルト『死者の森 ナチス政治犯収容所の報告』加藤一郎訳、白水社、1952.7.10

ランドルフ・ロバン『さかさまの世界 もしドイツが勝っていたら』原田義人訳、筑摩書房、1952.11.25(「ニュルンベルク裁判」の節)

アンネ・フランク『光ほのかに アンネの日記』(原著1947)皆藤幸蔵訳、文藝春秋 1952.12.10

1953年

市原豊太「「アンネの日記」物語」『文藝春秋』1953.1

「胸を打つ真情」(アンネ・フランク『光ほのかに』書評)『図書新聞』1953.1.10

「女学生で読まぬ者なし 「光ほのかに」―アンネの日記」『全国出版新聞』1953.1.1

「子供の二十五時 アンネ・フランク著『光ほのかに』」書評、『週刊朝日』1953.1.25

M・ランダウ(アイゼンベルグ商会支配人)「笑える日本人がうらやましい ナチの虐殺こそイスラエル建国の因」『日本週報』1953.2.25

レマルク『生命の火花』上・下(原著1952)山西英一訳、潮書房、1953.3.30

オットー・フランク「「アンネの日記」の父の記録 唯一人生き残った父親の嘆き」皆藤幸蔵訳『文藝春秋』1953.5

「生命の火花(上)レマルク著」書評『週刊読売』1953.5.3

「ナチスの残虐 レマルク『生命の火花』上・下」書評、『週刊朝日』1953.6.21

「「光ほのかに」の人気は? 既に15万・売行天井知らず」『全国出版新聞』1953.7.10

1954年

「さかんなナチ戦犯の回想録」『図書新聞』1954.3.6

熊本良忠「アウシュヴィッツの悲劇 ふたたびくりかえさぬために」『世界週報』1954.4.11

マーガレーテ・ブーバー・ノイマン『第三の平和 第二部(ナチ・ドイツの強制収容所)』直井武夫訳、共同出版社、1954.7.10

岩波書店編集部編『岩波写真文庫127 イスラエル』(写真提供 左近義慈、イスラエル公使館)、岩波書店、1954.10.30

「イスラエル 岩波写真文庫」(岩波写真文庫『イスラエル』紹介)『図書新聞』1954.11.27

1955年

レマルク『愛する時と死する時』(原著1954年)、山西英一訳、新潮社「現代世界文学全集」、1955.6.30

「ナチの罪業が削除 レマルクの新作ドイツ版」『図書新聞』1955.7.9

「アウシュウィツの女囚」映画紹介『キネマ旬報』1955.8月上旬

瓜生忠夫「アウシュウィツの女囚」映画評『映画芸術』1955.8

赤岩栄「アウシユウイツの女囚」映画評『指』1955.8

純「ナチに対する怒り 『アウシュウィツの女囚』」映画評、『朝日新聞』1955.8.2夕刊2面

久野収「読者自身が〝化物〟! 近代人の内面の錯乱状態をえぐる」(マックス・ピカート『われわれ自身のうちなるヒットラー』書評)『図書新聞』1955.8.6

1955.8.9 ヤクボフスカ「アウシュウィツの女囚」公開

飯島正「ポウランド映画と「アウシュウィツの女囚」」『映画評論』1955.9

「アウシュウィツの女囚」映画評『知性』1955.9

岩崎秀之「アウシュウィッツの悲劇 ナチの捕虜収容所の跡を訪ねて」『新聞月鑑』1955.10

1956年

ジャン=ポール・サルトル『ユダヤ人』(原著1946)安藤信也訳、岩波書店 1956.1.16

「独自の見解 J・P・サルトル『ユダヤ人』」書評、『朝日新聞』1956.1.23朝刊4面

「ユダヤ人 J・P・サルトル著」書評『週刊読売』1956.2.12

遠藤周作「民族の心理を分析 人間的自由への勧告と自省と」(サルトル『ユダヤ人』書評)『日本読書新聞』1956.2.13

小此木真三郎「人間存在の擁護」(サルトル『ユダヤ人』書評)『図書新聞』1956.2.18

「実存主義による解釈 J・P・サルトル『ユダヤ人』」書評『週刊朝日』1956.2.26

瓜生忠夫『映画』、三省堂出版、1956.4(ヤクボフスカ「アウシュウィツの女囚」評を含む)

「神のない映画『夜と霧』 非公開となるか大虐殺の記録」『週刊新潮』1956.6.12

安達二郎(丸山眞男)「記録映画『夜と霧』について」『中央公論』1956.7

飯島正「『夜と霧』とアラン・レネエ」『映画評論』1956.7

「戦争悪をえぐる労作二つ 日、独の収容所での記録」(ルイス・ブッシュ『おかわいそうに』、フランクル『夜と霧』書評)『朝日新聞』1956.8.12朝刊8面

ヴィクトール・フランクル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(原著1946年)霜山徳爾訳、みすず書房 1956.8.15

「三百万人の大量虐殺 ドイツ強制収容所の内幕」(フランクル『夜と霧』書評)『毎日新聞』1956.8.19朝刊10面

「満州にあったアウシュウィツ 「人間の条件」を書いた五味川純平氏の体験」『週刊新潮』1956.8.20

「生命にしがみつく人間像 死が当り前の眺め 繰返されてはならぬ悲劇」(フランクル『夜と霧』書評)『図書新聞』1956.8.25

フリードリヒ・ヴォルフ『神々の会議』中村英雄訳、潮書房、1956.9(「ニュルンベルク戦犯裁判の怪」の章)

「話題の本」(フランクル『夜と霧』書評)『本の本』1956.9

島崎敏樹「すべてを絶した「非情」 〝ミイラの世界〟を描く人間の眼」(フランクル『夜と霧』書評)『日本読書新聞』1956.9.3

「夜と霧 V・E・フランクル著』」書評『週刊読売』1956.9.16

家永三郎「フランクル著『夜と霧』を読んで」『図書新聞』1956.9.22

水木洋子「息もつかせぬ楽しさ 民芸の「アンネの日記」を見て」『朝日新聞』1956.9.30朝刊

「人間は失われない フランクル著『夜と霧』」書評『週刊朝日』1956.9.30

壷井繁治「「夜と霧」を読んで」『アカハタ』1956.10.8

「見ごたえある舞台 民芸「アンネの日記」」『アカハタ』1956.10.10

カ・ツェトニック『痛ましきダニエラ』(ヘブライ語原著1953)蕗沢紀志夫訳、河出書房 1956.10.25

「痛ましきダニエラ」(紹介)『Books 読書人の雑誌』1956.11

佐多稻子「アンネの日記」(写真入り演劇紹介)『芸術新潮』1956.11

「書評 『夜と霧』ヴィクトール・フランクル著」『作家』1956.11

「本のすいせん フランクル『夜と霧』」『生活と文学』1956.11

猪俣敬太郎「「夜と霧」と死の家」『日本及日本人』1956.11

「読者の書評」(フランクル『夜と霧』書評)『日本読書新聞』1956.11.5(石田康弘「今日に生きる道標」、平塚賢次「人間の自由と尊厳」、島崎敏樹「選評」)

石山慶治郎「イスラエル物語 さまよえるユダヤ人」『週刊朝日』1956.11.12

「話題の本 ナチスの悪行」(カ・ツェトニク『痛ましきダニエラ』、メイラン『涙と光』書評)『本の本』1956.12

水木洋子「劇団民芸公演 アンネの日記」『婦人俱楽部』1956.12

秋山浩「私は見た! 恐怖の謀略実験」『特集人物往来』1956.12(サブタイトル「細菌謀略特殊部隊「七三一」の隊員たりし筆者が告白する日本版「夜と霧」戦慄の記録!」)

松本一郎「「夜と霧」ヴィクトル・フランクル」書評、『保健婦雑誌』1956.12

佐古純一郎『孤独なる信徒』現代文芸社、1956.12.15(「フランクルの『夜と霧』について」の章)

園部三郎『東ヨーロッパ紀行 音楽・民族・社会』平凡社、1956.12.25(「アウシュヴィッツの壁の前で」の章)

1957年

小場瀬卓三「『アンネの日記』のこと」『新日本文学』1957.1

関根正雄「フランクル『夜と霧』」書評、『福音と世界』1957.1

松井康浩「書評 ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』」『自由と正義』1957.1

中原佑介「部屋のなかの部屋 「アンネの日記」(劇団民芸公演)をみて」『新日本文学』1957.1

「少女の眼に映ったナチ残虐の恐怖 『アンネの日記』F・アンネ著」『時事通信』1957.1

「特別付録 あなたの世界一周旅行」『婦人公論』1957.1(戸塚文子のパスポートの写しを掲載し、「中近東」の節でイスラエル国に言及)

奥野保男「イスラエルという国」『世界』1957.1

清水幾太郎「この目で見たアウシュヴィッツ」『図書』1957.2

E・A・コーエン『強制収容所における人間行動』(原著1953)清水幾太郎、高根正昭、田中靖政、本間康平訳、岩波書店、1957.3.12

「新劇・旅ゆかば・・・ 俳優座「タルチュフ」民芸「アンネの日記」」『朝日新聞』1957.4.17夕刊5面

河竹登志夫「アンネの日記」『自警』1957.5

三井美奈「アンネを生きる」『婦人公論』1957.5

伝宝昌子「アンネの日記」『作文』1957.5

永末定『人生は美しい矛盾の産物 随筆集』日本講義社、1957.5.1(「フランクルの『夜と霧』」の章)

吉行和子「私の旅土産(「アンネの日記」巡業日誌より)」『新劇』1957.6

「中近東関係の二近著」(杉田六一『イスラエル』書評)『図書新聞』1957.6.8

ロベール・メルル『死はわが職業』(原著1952年)村松剛訳、講談社 1957.6.20

「死はわが職業」(書評)『本の本』1957.7

桂芳久「組織の中の歯車 収容所所長の人間形成描く」(ロベール・メルル『死はわが職業』書評)『図書新聞』1957.7.13

ラッセル『人工地獄 ナチス戦争犯罪小史』(原著1954)大沢基訳、みすず書房 1957.7.15

村瀬興雄「余りの非道」(ラッセル『人工地獄』書評)『図書新聞』1957.8.24

江尻進「イスラエル紀行」『コリア評論』1957.10

斧田大公望「ナチの残虐語る〝いれずみ〟 ポーランド見聞記①」『週刊読売』1957.10.6

竹山道雄「人間精神の崩壊 ナチスユダヤ人大量殺戮事件について」『文藝春秋』1957.11

ルイス・デ・ヨング「〝アンネの日記〟を書いた少女」『リーダーズダイジェスト』1957.12

1958年

竹山道雄「妄想とその犠牲・ユダヤ人 人間精神の崩壊(二)」『文藝春秋』1958.1

竹山道雄「伍長ヒットラーの妄想と毒ガス 人間精神の崩壊(三)」『文藝春秋』1958.2

津倉淳「死はわが職業」(書評)『世界文学』1958.2

「弱い構成力 『第二次大戦の悲劇』」映画評『週刊朝日』1958.2.16

アラン・バロック『アドルフ・ヒトラー』Ⅰ・Ⅱ(原著1952)大西尹明訳、みすず書房 1958.2.28

竹山道雄「殺人交響楽の指揮者 妄想とその犠牲(四)」『文藝春秋』1958.3

竹山道雄「妄想とその犠牲 ヒューマニズムなき天才(五)」『文藝春秋』1958.4

櫻木三四郎「同胞よ! 諸君はアウシュヴィッツへの途を辿るのか」『日本医事新報』1958.4

「平和を装う悪魔 アラン・バロック『アドルフ・ヒトラー』」書評『週刊朝日』1958.4.6

E・シュナーベル『アンネのおもかげ』(原著1958)原田義人訳、みすず書房 1958.5

「ナチに斃された短い生涯 ドイツの作家が責任感情こめて描く」(シュナーベル『アンネのおもかげ』書評)『日本読書新聞』1958.6.2

畔柳二美「胸に痛みを覚える ーシュナーベル著・原田義人訳― アンネのおもかげ」『週刊読書人』1958.6.9

「アンネの最後 シュナーベル『アンネのおもかげ』」書評『週刊朝日』1958.6.15

「アンネのおもかげ」(シュナーベル『アンネのおもかげ』紹介)『図書新聞』1958.6.21

ミッシェル・デル・カスティリョ『ヨーロッパの何処かで』(原著1957年)生田耕作訳、人文書院、1958.8

「演劇〝アンネの日記〟に 仏・フラテルニテ(友愛)賞」『週刊読書人』1958.8.18

小林勝「収容所の中の少年 フランス新鋭作家の自伝小説」(カスティリョ『ヨーロッパの何処かで』書評)『図書新聞』1958.8.30

窪田啓作「少年の眼を通して語られる収容所の恐怖の体験 ミシェル・デル・カスティリョ著『ヨーロッパの何処かで』」『週刊読書人』1958.9.15

アルバート・ハケット、フランセス・G・ハケット『戯曲アンネの日記』(原著1955)菅原卓訳、文藝春秋新社 1958.12.30

1959年

伊東鍈太郎「〝アンネの日記〟は贋作か いつの間にか政治問題に巻き込まれる」『週刊サンケイ』1959.3.29

「アンネの日記」グラビア『主婦と生活』1959.4

熊田亨『砂漠に渇いたもの』東洋経済新報社、1959.5.20

生田花世「アンネの日記 アンネ・フランク作」『女性教養』1959.7

双葉十三郎「恐怖と不安の世界 映画「アンネの日記」を見て」『朝日ジャーナル』1959.7.12

「アンネの日記 絶讃の新星ミリー・パーキンスが主演」『週刊明星』1959.7.26

滋野辰彦「ジョージ・スティーヴンス監督「アンネの日記」」『映画評論』1959.8

「アンネの日記」グラビア『映画芸術』1959.8

「アンネの日記」グラビア『婦人生活』1959.8

「アンネの日記」映画紹介『経済時代』1959.8

「アンネの日記 ナチの強制収容所で惨ましい青春をすごしたアンネ・フランクの日記を映画化したスチーブンス監督の世紀の名作!」グラビア『映画情報』1959.8

「アンネの日記」『高校コース』1959.8

生田花世「アンネの日記 アンネ・フランク作」(続き)『女性教養』1959.8

岩渕正嘉「現代ポーランド映画の特質」『映画芸術』1959.8

「アンネの日記」映画紹介『キネマ旬報』1959.8月上旬

「アウシュヴィッツのモニュメント」『国際建築』1959.8.1

「生きている〝反ユダヤ〟感情 デル・モナート紙 読者の紙上討論から ドイツ」『図書新聞』1959.8.22

「アンネの日記」(シナリオ)『キネマ旬報』1959.9月増刊号

「ジョージ・スティーヴンス演出のアンネの日記」『スクリーン』1959.9(荻昌弘「「アンネの日記」という映画」、津村秀夫「アンネを演る新人パアキンス」、「G・スティヴンスの演出」)

「アンネの日記 ユダヤ人少女アンネが綴った暗い青春の想い出 大戦下のナチにおびえる一家の姿を、ジョージ・スチーブンス監督が新星ミリー・パーキンスで映画化した世紀のドラマ!」『婦人俱楽部』1959.9

特集「アンネの日記」『映画ストーリー』1959.9(遠野鉄四郎「物語」、高季彦「いとしいアンネの面影」、小森和子「咲きそめたバラの蕾のような乙女ミリー・パーキンス」)

「アンネの日記」映画紹介『音楽の友』1959.9

「スティーヴンスの新作『アンネの日記』」『キネマ旬報』1959.9月上旬(尾崎宏次「一つのアメリカ大衆劇」、井上光晴「黄色い星をつけた少女と私」)

「試写室 アンネの日記 やや甘いが誠実味」映画評『週刊朝日』1959.9.6

1959.9.5 イェジー・パッセンドルフェル「白昼の市街戦 暴力への回答」公開

1959.9.8 スティーヴンス「アンネの日記」公開

「試写室 暴力への回答 ナチへの憎悪」映画評『週刊朝日』1959.9.13

「長い割に感銘少ない アンネの日記」映画評『週刊読売』1959.9.13

「地味でソフトな演出が光る アンネの日記」映画評『週刊現代』1959.9.13

犬養道子「世界のトップ・レディ会見記6 イスラエルが誇る世界で唯一人の外相 ゴルダ・メア女史」『婦人公論』1959.10

佐分利信、小夜福子、戸坂康二「試写室にて アンネの日記」『芸術新潮』1959.10

「アンネの日記」グラビア『映画芸術』1959.10

荻昌弘「アンネの日記」映画評『映画芸術』1959.10

寺西英夫「実話であることの迫力 「アンネの日記」」『声』1959.10

阿部光子「アンネの日記」映画紹介『AVCO キリスト教視聴覚教案雑誌』1959.10

小倉真美「アンネの日記」映画評『キネマ旬報』1959.秋の特別号

矢内原伊作「きわめて複雑な大作 J・P・サルトルの新作「アルトナの幽閉者たち」」『朝日ジャーナル』1959.11.22

二宮敬「例外的な才能 年代記と小説の見事な統一 ナチスの悲劇を歴史化 今年度ゴンクール賞に輝く アンドレ・シュヴァルツ=バール『最後の義人』」『図書新聞』1959.11.28

清水幾太郎『私たちはどう生きるか 清水幾太郎集15』ポプラ社、1959.11.30(「アウシュヴィッツ訪問記」の章)

北川鉄夫「問題はいたるところに」(映画「アンネの日記」評)『部落』1959.12

E・リンゲルブルーム『ワルソーゲットー 壁の中の恐怖の記録』(原著1958年)山田晃訳、光文社 1959.12.5

1960年

ノーマン・ベントウィッチ『再建のイスラエル 現代ユダヤ人国家の鼓動』(原著1952年)、小林 正之訳、早稲田大学出版部、1960

ルードルフ・ヘス「アウシュウィッツ収容所長の回想 ユダヤ人大量虐殺の記録」第一回『朝日ジャーナル』1960.1.10

ルードルフ・ヘス「アウシュウィッツ収容所長の回想 ユダヤ人大量虐殺の記録」第二回『朝日ジャーナル』1960.1.17

「死臭の映画 十三階段への道」『朝日ジャーナル』1960.1.17

「〝カギ十字〟の黒い影 西独に残る反ユダヤの温床」『朝日ジャーナル』1960.1.24

ルードルフ・ヘス「アウシュウィッツ収容所長の回想 ユダヤ人大量虐殺の記録」第三回『朝日ジャーナル』1960.1.24

ルードルフ・ヘス「アウシュウィッツ収容所長の回想 ユダヤ人大量虐殺の記録」第四回『朝日ジャーナル』1960.1.31

荻昌弘「アメリカ作家の政治〝戦術〟」(「アンネの日記」評を含む)『映画芸術』1960.2

K・S「〝13階段〟と〝カギ十字〟 その底に流れるものは何か 〝岸首相にみて貰いたい〟ショッキングなナチの残虐」『週刊読書人』1960.2.1

1960.2.11 ポドマニツキー「ニュルンベルクの戦犯 13階段への道」公開

「13階段への道 生々しいナチの残虐」映画評『週刊読売』1960.2.14

荻昌弘「試写室 13階段への道 一見に値する」映画評『週刊朝日』1960.2.21

伊藤成彦「資料としての価値 克服につらならぬ告発」(ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント』書評)『図書新聞』1960.2.27

椎名麟三「人間に対する警告 映画『十三階段への道』」『世界』1960.3

野上弥生子「カギ十字と安保改定」『世界』1960.3

小倉真美「フィルムの扇動性と記録性 「13階段への道」が提起する問題」『キネマ旬報』1960.3月上旬

岡田晋「ニュルンベルクの戦犯 13階段への道」映画評『キネマ旬報』1960.3月上旬

「ニュルンベルクの戦犯 13階段への道」映画紹介『キネマ旬報』1960.3月上旬

山口定「烈々たるナチズム弾劾」(ホーファー『ナチス・ドキュメント』書評)『日本読書新聞』1960.3.7

「粒よりの資料 『ナチス・ドキュメント』W・ホーファー著」書評『週刊読売』1960.3.13

「「13階段」の絶叫 若い世代が求めているもの」『サンデー毎日』1960.3.13

村瀬興雄「文書と回想によるナチズムの証明」(ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント』書評)『週刊読書人』1960.3.14

田辺員人「アウシュヴィッツとヒロシマ」『世界建築全集』第11、平凡社、1960.3.15

亀井勝一郎「悪夢の一二年 ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント』」『朝日ジャーナル』1960.3.20

吉田輝夫「心理的側面に注目 一個の人間の権力を対象」(アラン・バロック『アドルフ・ヒトラー』書評)『図書新聞』1960.4.30

北杜夫「夜と霧の隅で」『新潮』1960.5

甲斐静馬「限界はあるが良い紹介」(ノーマン・ベントウィッチ『再建のイスラエル』書評)『週刊読書人』1960.5.9

竹山道雄「外側からつかむ人物評伝 アラン・バロック『アドルフ・ヒトラー』(I・II)」『朝日ジャーナル』1960.5.15

「政治的解釈に特色 『アドルフ・ヒトラー』アラン・バロック著」書評『週刊読売』1960.5.15

1960.5.21 アイヒマン、イスラエル国へ護送

原田義人「ナチスのユダヤ人虐殺」『近代文学』1960.6

「捕えられた「夜と霧」の悪魔 イスラエル秘密警察十五年の執念」『週刊新潮』1960.6.13

小林淳宏「十五年のユダヤの執念 捕えられたアイヒマン」『時事通信』1960.6.13

東野紅一「死刑より終身刑を! アイヒマン公判に関心 ボン」『朝日ジャーナル』1960.6.19

杉辺利英「波紋よぶアイヒマン(ユダヤ人虐殺の責任者)逮捕 アルゼンチン、国連安保理に提訴」『週刊朝日』1960.7.10

藤枝静男「ヒューマニティの闘い 死のトラックは夜霧の中へ」(北杜夫『夜と霧の隅で』書評)『日本読書新聞』1960.7.11

「人 ヘブライ文化本部をつくる 小辻節三」『朝日新聞』1960.7.12

久保田正文「酷薄な感触の爽快さ 男性的な、拒絶的なタイプ」(北杜夫『夜と霧の隅で』書評)『図書新聞』1960.7.16

「四つのメモ アイヒマン」『外交時報』1960.8

佐古純一郎「北杜夫の『夜と霧の隅で』について」『福音と世界』1960.8

ギュンター・アンデルス『橋の上の男 広島と長崎の日記』(原著1959) 篠原正瑛訳、朝日新聞社 1960.8.1

中野好夫「極限状態における不安 北杜夫『夜と霧の隅で』」書評『週刊朝日』1960.8.7

「〝ユダヤ人の慈父〟と慕われて ヘブライ文化本部日本代表に指名された小辻〔節三〕氏」『週刊読』1960.8.7

「注目すべき力作 『夜と霧の隅で』北杜夫著」書評『週刊読売』1960.8.14

1960.9 ハラルト・フィリップ「犯罪部隊999」公開

北杜夫「夜と霧の隅で」『文芸春秋』1960.9(井上靖、石川達三、中村光夫、瀧井孝作、丹羽文雄、井伏鱒二、佐藤春夫、永井龍男、船橋聖一、宇野浩二による芥川賞選評を含む)

シモン・ウィゼンタール「アイヒマンを追って十五年」『中央公論』1960.9

戸塚文子「「栄光への脱出」という映画は」/荻昌弘「イスラエルからパリへの旅日記」『スクリーン』1960.9

J・ロビンソン「アイヒマンと裁判権 イスラエルはユダヤ人虐殺責任者を裁くことができるか」『法律時報』1960.9.1

開高健「戯画と現実 『チャップリンの独裁者』をみて」『朝日ジャーナル』1960.9.18

「チャップリンの独裁者」グラビア『スクリーン』1960.10

荻昌弘「イスラエルからパリへ」(続き)『スクリーン』1960.10

ズワイ・アルドゥビー、エフレーム・カッツ、クエンテイン・レイノルズ「六百万人を殺した男〔アイヒマン〕」『週刊新潮』1960.10.3

「日本軍を思い出す 犯罪部隊999」映画評『週刊読売』1960.10.9

1960.10.22 「チャップリンの独裁者」公開

「チャップリンの独裁者 見ておきたい傑作」映画評『週刊読売』1960.10.23

荻昌弘「試写室 チャップリンの独裁者 天才の傑作」映画評『週刊朝日』1960.10.30

「読者の書評」(北杜夫『夜と霧の隅で』書評)『日本読書新聞』1960.11.7(小川悦子「漂ようやさしさ」、奥野健男「選評」)

荻昌弘「試写室 人間の運命 ソ連映画の代表作」映画評『週刊朝日』1960.11.13

「読者からの映画評 〝独裁者〟は消えていない」(「チャップリンの独裁者」評)『週刊朝日』1960.11.20

佐々木基一「「日本の夜と霧」に声援をおくる」『映画評論』1960.12

佐藤忠男「「日本の夜と霧」その独創にふれて」『映画評論』1960.12

大島渚「「日本の夜と霧」虐殺に抗議する」『映画評論』1960.12

1961年

橘田和子「「痛ましきダニエラ」を読んで」『読書感想文集昭和35年度』1961

青木利夫「ナチス強制収容所のあと ブーヒェンワルトを訪ねて ベルリン」『朝日ジャーナル』1961.1.22

ダヴィド・ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』(原著1960)木村彰一訳、筑摩書房、1961.1.30

Q・レイノルズ『捕えた 虐殺者アイヒマンの人生と墓場』(原著1960)伊達暁訳、新潮社 1961.1.30

江藤文夫「体験を普遍化する姿勢 日本映画が突破すべき今日の位置」(大島渚「日本の夜と霧」映画評)『日本読書新聞』1961.1.30

「物言わぬ歴史の審判」(「わが闘争」映画評)『日本読書新聞』1960.1.30

開高健「〝夜と霧〟の爪跡を行く 巨大なナチスの殺人工場・アウシュヴィッツの悲惨」『文藝春秋』1961.2

磯部佑一郎「アイヒマンの公判迫る」『外交時報』1961.2

「わが闘争 エルウィン・ライザー作品」グラビア『キネマ旬報』1961.2月上旬

1961.2.5 ライザー「わが闘争」公開

荻昌弘「わが闘争 意義ある無残な記録」映画評『週刊朝日』1961.2.10

自由と民主主義のために闘う人々の会『ナチス虐殺の記録 決して忘れはしない』二見書房、1961.2.12

「一ユダヤ少年の恐怖 読むものの心をしめつける」(ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』書評)『日本読書新聞』1961.2.13

岡田晋「フィルムによる現代史「わが闘争」」『キネマ旬報』1961.2月下旬

開高健「フィルムと現実のイメージ」『キネマ旬報』1961.2月下旬

「映画「わが闘争」 本誌調査 大衆はこう見ている」『週刊朝日』1961.2.17

「わが闘争 恐怖の場面に学ぶ」映画評『週刊読売』1961.2.19

「ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』」(紹介)『図書新聞』1961.2.11

「暗黒のドラマ 報復に一生をかける男たち」(レイノルズ『捕えた 虐殺者アイヒマンの人生と墓場』書評)『日本読書新聞』1961.2.20

開高健「するどく、つつましく ダヴィド・ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』」書評『週刊朝日』1961.2.24

荒正人「ユダヤ人虐殺者の一切 豊富で正確な資料を使い偏らずに叙述」(Q・レイノルズ『捕えた 虐殺者アイヒマンの人生と墓場』書評)『週刊読書人』1961.2.27

「二見書房版 決して忘れはしない」(書評)『日本読書新聞』1961.2.27

レオン・ユリス『栄光への脱出 エクソダス』第一巻(原著1958)犬養道子訳、河出書房、1961.3.15

「虐殺者アイヒマンの告白 私は彼らを屠殺場へ連れて行った」『文藝春秋』1961.3

「世界の潮 アイヒマン裁判と西ドイツ」『世界』1961.3

高見順「映画『わが闘争』を観る」『世界』1961.3

清水卓行「記録と時間 「我が闘争」を見て」『映画評論』1961.3

南博「わが闘争」映画評『キネマ旬報』1961.3月上旬

「わが闘争」映画紹介『キネマ旬報』1961.3月上旬

「わが闘争」グラビア『映画芸術』1961.3

T・フリードマン「追跡者 ユダヤ人虐殺の元凶アイヒマンを捕えるまで」『週刊朝日』1961.3.3

早川善治郎「特集 忘れられぬ傷痕・ナチズム(その1)ファシズムの社会心理」『図書新聞』1961.3.4

中島健蔵「わたしの写真鑑賞 ナチス虐殺の記録『決して忘れはしない』」『図書新聞』1961.3.4

村瀬興雄「特集 忘れられぬ傷痕・ナチズム(その2)政治・経済体制をめぐって」『図書新聞』1961.3.4

井上正蔵「特集 忘れられぬ傷痕・ナチズム(その3)ファシズムのなかの人間」『図書新聞』1961.3.4

「ナチの残虐ぶり描く 『決して忘れはしない』二見書房編」書評『週刊読売』1961.3.5

矢野健太郎「すさまじい迫力もつ記録映画」(「わが闘争」映画評)『週刊読書人』1961.3.6

安田武「追跡者の執念 人類史最大の虐殺者を決してわすれず 15年間追った男」(フリードマン『追跡者』、レイノルズ『捕えた』書評)『日本読書新聞』1961.3.13

トゥヴィア・フリードマン『追跡者』(原著1961)瀧口直太郎訳、朝日新聞社 1961.3.15

「「わが闘争」のヒットとその反響」『キネマ旬報』1961.3月下旬

篠田正浩「わが闘争」映画評『キネマ旬報』1961.3月下旬

「決して忘れはしない ナチス虐殺の記録」(二見書房編『決して忘れはしない』紹介、写真入り)『週刊読書人』1961.3.20

加藤正明「明るさの裏に深い苦悩 心と体から精神への展開の試み」(フランクル著作集書評)『日本読書新聞』1961.3.20

「裁きを待つアイヒマン」『アサヒグラフ』1961.3.24

倉橋由美子『人間のない神』角川書店 1961.4

内山敏「ルムンバ虐殺とアイヒマン裁判」『新日本文学』1961.4

インゲボルク・ヴェント「ドイツ女性に刻まれたナチの爪跡 映画『わが闘争』を見て、ドイツ女性の立場からナチの暴虐を語る」『婦人公論』1961.4

登川直樹「ナチズムの興亡史 わが闘争」『映画芸術』1961.4

江藤文夫「カポーの現実 ゼロ地帯」『映画評論』1961.4

北川鉄夫「暴れん坊を描け 「わが斗争」「ゼロ地帯」「広場」」『部落』1961.4

神山圭介「ユダヤ民族の執念 三千年の歴史の理不尽を負う」(ユリス『エクソダス1』書評)『日本読書新聞』1961.4.3

「いよいよアイヒマン裁判」『世界週報』1961.4.4

「ユダヤ民族受難史 『栄光への脱出』~エクソダス1~ レオン・ユリス著」書評『週刊読売』1961.4.9

ニコラス・アイヒマン(特別手記)「愛する父は大量虐殺者!」『週刊公論』1961.4.10

「命令、そして服従 『アイヒマンはたくさんいた』?」(Albert Wicher, Eichmann gab es viele紹介 )『日本読書新聞』1961.4.10

1961.4.11 アイヒマン裁判始まる

渡辺修「アイヒマン、その罪状のすべて」『週刊サンケイ』1961.4.17

内海丁三「アイヒマン裁判に思う」『ダイヤモンド』1961.4.17

村瀬興雄「興味ぶかい問題作 最新の研究成果を駆使して平易に」(ウィリアム・シャイラー『ヒトラーの台頭』書評)『週刊読書人』1961.4.17

植草甚一「ユダヤ民族の建国叙事詩 歴史的事実にフィクションを加味」(レオン・ユリス『エクソダス 栄光への脱出』書評)『週刊読書人』1961.4.17

内山敏「アイヒマン裁判始まる 彼の経歴と犯罪」『日本読書新聞』1961.4.17

「アイヒマン裁判はじまる 冷然、無表情のままの被告」『週刊朝日』1961.4.21

内山敏「アイヒマン裁判に〝恐怖の証言〟 まだ隠れているのはだれか?」『週刊読売』1961.4.23

村松剛「世紀の大法廷アイヒマン裁判」『サンデー毎日』1961.4.23

臼井吉見「アイヒマン裁判の意味 広島の悲劇をもつわれわれには、この裁きは他人事でない」『週刊公論』1961.4.24

斉藤孝「アイヒマン裁判の教訓 15年の〝平和〟の歴史を経て 未決の戦争責任 ファシズムは死んでいない」『週刊読書人』1961.4.24

1961.4.25 「ユダヤ六〇〇万の虐殺者 アイヒマン追跡作戦」(1961 アメリカ)公開

原子林二郎「ナチズム・スターリニズム アイヒマン裁判の意味するもの」『世界週報』1961.4.25

犬養道子「裁かれる〝普通の男〟 私は見たアイヒマン」『週刊朝日』1961.4.28

「独房のアイヒマン」『アサヒグラフ』1961.4.28

「遅すぎた抵抗 「ナチに屈服したドイツ大学」」『朝日ジャーナル』1961.4.30

「アイヒマン裁判への疑問」(アメリカ『ニューズ・ウィーク』『タイム』の記事紹介)『週刊読売』1961.4.30

村松剛「追跡者フリードマン会見記 アイヒマン裁判第2報」『サンデー毎日』1961.4.30

長谷川四郎「収容所の中の人間性とナチの猛威 イタリア映画「ゼロ地帯」は語る」『キネマ旬報』1961春の特別号

A・ミッチェルリヒ、F・ミールケ「ヒューマニズムなき医学 ニュルンベルク裁判の記録」『文藝春秋』1961.5

中山和子「「わが闘争」を見て」『映画評論』1961.5

犬塚惟重「日本の〝アウシュビッツ〟は楽園だった」『世界と日本』1961.5

「アイヒマン裁判の論告 四月二〇日付『ノイエス・ドイッチュラント』」『世界政治資料』1961.5

「アイヒマン裁判と差別」『部落』1961.5

「アイヒマン裁判」『部落』1961.5

石川吉右衛門「アイヒマンの「個人的」責任」『官公労働』1961.5

内山敏「コンゴ情勢とアイヒマン裁判」『新日本文学』1961.5

磯部佑一郎「注目のアイヒマン裁きの日」『時事英語研究』1961.5

蒲田黎子「裁かれるアイヒマン」『国連』1961.5

A・スムーラ「アイヒマン裁判の意味」『コリア評論』1961.5

「栄光への脱出」(グラビア)『映画ストーリー』1961.5

「ゼロ地帯」(映画紹介)『映画ストーリー』1961.5

登川直樹「ゼロ地帯 ナチズムに虐げられたユダヤ少女の半生を描く」『スクリーン』1961.5

福田定良「戦争は克服されたか 映画「ゼロ地帯」の悲惨さが訴えるもの」『映画芸術』1961.5

埴谷雄高「死の意味 「ゼロ地帯」と「処女の泉」」『世界』1961.5

永井道雄「人間衛星とアイヒマン」『週刊公論』1961.5.1

犬養道子「『人種差別を裁く』 ベングリオン首相は語る アイヒマン裁判」『週刊朝日』1961.5.5

「高まる反ドイツ熱 イスラエル・アイヒマン裁判の波紋」『週刊読売』1961.5.7

近藤日出造「やァこんにちは アウシュビッツの生き残り アルフレッド・スムーラー氏」『週刊読売』1961.5.7

朝広正利「特集 ユダヤ人問題とは何か 反ユダヤ主義の変遷 〝選民意識〟への中世的反感からナチズムの政治スローガンまで」『日本読書新聞』1961.5.8

熊田亨「特集 ユダヤ人問題とは何か 〝契約の地〟への主張 パレスチナ復帰運動を導いたシオニズムの正と負」『日本読書新聞』1961.5.8

「試写室 アイヒマンによく似た男」(映画「アイヒマン追跡作戦」評)『週刊平凡』1961.5.10

犬養道子「イスラエルでの「日本」」『週刊公論』1961.5.15

レオン・ユリス『栄光への脱出 エクソダス』第二巻(原著1958)犬養道子訳、河出書房、1961.5.20

岡田晋「アイヒマン追跡作戦」映画評『キネマ旬報』1961.5月下旬

「ユダヤ六〇〇万の虐殺者 アイヒマン追跡作戦」映画紹介『キネマ旬報』1961.5月下旬

「イスラエルに〝白い目〟」(『アラブ・オブザーバー』の記事紹介)『週刊読売』1961.5.21

村松剛「それでも私は弁護する! セルベティウス弁護士会見記 アイヒマン裁判第3報」『サンデー毎日』1961.5.21

「「日本の夜と霧」劇化上演 東大5月祭に演劇研究会が 安保闘争の体験を集約して」『日本読書新聞』1961.5.22

「アイヒマン裁判の問題点」『時の法令』1961.5.23

犬養道子「ゆううつな〝追跡者〟 フリードマン会見記」『週刊朝日』1961.5.26

村松剛「エホバの審きの庭 アイヒマン裁判傍聴記」『文藝春秋』1961.6

「アイヒマン裁判と西ドイツ」『世界』1961.6

村瀬興雄、小林正之「ユダヤ人 その悲惨と栄光」『中央公論』1961.3

角田房子「アイヒマン裁判を現地に見る」『婦人公論』1961.6

中島博「アイヒマン裁判の背景と問題点」『国際問題』1961.6

「アイヒマン裁判」『前衛』1961.6

桜木澄和「アイヒマン裁判と国際刑法」『法学セミナー』1961.6

「アイヒマン追跡作戦 ユダヤ人600万の虐殺者」『映画ストーリー』1961.6

「〝恐怖の歴史〟裁判はじまる」グラビア『サングラフ』1961.6

香内三郎「アイヒマン裁判とマス・コミ」『教育』1961.6

「見ていい映画 栄光への脱出」『経済時代』1961.6

大島辰雄「戦争と平和は一人ひとりの問題 イタリー映画「ゼロ地帯」の教訓」『教育評論』1961.6

江藤淳「夢想的なヒトラー観 倉橋由美子『人間のない神』」書評『週刊朝日』1961.6.9

アドルフ・アイヒマン(手記)「この広い地球のどこにも」『週刊新潮』1961.6.12

井上光晴「全世界の戦後への批判 サルトル著作集6 アルトナの幽閉者 いや応なく我々を証言台にひきずる」『日本読書新聞』1961.6.12

岡田晋「ゼロ地帯」『キネマ旬報』1961.6下旬

白井健三郎「歴史の悪の証人は誰か 痛切な現代的課題を鮮やかにえぐる」(サルトル著作集『アルトナの幽閉者 他二篇』書評)『週刊読書人』1961.6.19

「酒の中に真実あり アイヒマン裁判寸景」『日本読書新聞』1961.6.19

H・マ、H・クラウスニック『ナチスの時代』(原著1956)内山敏訳、岩波書店、1961.6.24

「ヤスパース、アイヒマン裁判を語る 『裁判の国際化を』」『朝日ジャーナル』1961.6.25

「このひと 日本にも〝類型〟がいた アイヒマン裁判を取材した村松剛氏」『週刊読書人』1961.6.26

「新劇の「夜と霧」 六・一五一周年と二つの「夜と霧」競演」『日本読書新聞』1961.6.26

犬養道子「アイヒマンを生んだもの 虐殺の地ダハウ、ナチ発祥の地ミュンヘンを訪れて・・・」『週刊朝日』1961.6.30

羽仁五郎「転向 知識人の自画像」『中央公論』1961.7(アイヒマン裁判に言及)

大坂敦「アイヒマン裁判に考えさせられたこと」『世界』1961.7

角田房子「裁かれる人裁く人 アイヒマン裁判を現地に見る 第二報」『婦人公論』1961.7

安藤肇「アイヒマン裁判」『月刊キリスト』1961.7

埴谷雄高「倉橋由美子『人間のない神』」書評『マドモワゼル』1961.7

岡本博「栄光への脱出」『映画評論』1961.7

荻昌弘「栄光への脱出」映画評『逓信協会雑誌』1961.7

アドルフ・ヒットラー『わが闘争 完訳版』第一巻、平野一郎、将積茂訳、黎明書房 1961.7.5

「現代史の一面を・・・ 『ナチスの時代』 H・マウ、H・クラウスニック著」書評『週刊読売』1961.7.16

村瀬興雄「ファシズムの理解に 簡潔で正確な叙述 ナチス運動の手口を無遠慮に」(マウ、クラウスニック『ナチスの時代』、ヒトラー『完訳・わが闘争』書評)『週刊読書人』1961.7.17

荻昌弘「栄光への脱出 イスラエル建国の叙事詩」映画評『週刊朝日』1961.7.21

開高健、犬養道子(対談)「イスラエルからベルリンまで」『週刊朝日』1961.7.28

「社会科学書の本だな ヒトラーの『わが闘争』」『図書新聞』1961.7.29

「民衆は局地戦を覚悟 緊張の焦点ドイツを語る 犬養道子さん」『週刊読書人』1961.7.31

宮田(武林)文子『ゲシュタポ』(1950年刊の再版)中央公論社 1961

「アイヒマン事件とドイツのカトリック信者」『声』1961.8

「繰返えしたくない悪夢 アイヒマン裁判をきいて 村松立大助教授 作家・開高健氏の談話から」『社会人』1961.8

熊田亨「エホバのさばきは始まった」(アイヒマン裁判をめぐって)『高校進学』1961.8

小倉真美「ユダヤ建国の歴史的背景 「栄光への脱出」」『映画芸術』1961.8

金沢誠「栄光への脱出」『婦人之友』1961.8

荻昌弘「「栄光への脱出」とプレミンジャーの信条」『キネマ旬報』1961.8上旬

アドルフ・ヒットラー『わが闘争 完訳版』第二巻、平野一郎、将積茂訳、黎明書房 1961.8.5

「夜と霧 アラン・レネ作品」『キネマ旬報』1961.8月下旬

埴谷雄高「映画随想 『汚れた英雄』『汝多くの戦友たち』劇『日本の夜と霧』」『世界』1961.9

「呪われたユダヤの血 宿命の迫害」『精神科学』1961.9

「アイヒマン裁判に思ふ 人は審くことを得るか?」(伊福部隆彦『人生劇場』5月号より)『精神科学』1961.9

黄瓦洞「アイヒマンはどうなる 素人判断を書く」『高志人』1961.9

浅原六朗「世界名作ダイジェスト 栄光への脱出」『婦人生活』1961.9

「栄光への脱出」(映画紹介)『キネマ旬報』1961.9上旬

増島宏「「栄光への脱出」の民族主義」『映画芸術』1961.9

戸塚文子『ユダヤの国・イスラエルの旅』実業之日本社、1961.9.1(「アイヒマン裁判でも契機となって、地球の広い部分をおおっているユダヤへの偏見が、消えてくれたらと思う。そして人類の幸福のためにも、日本人の間に、ユダヤ嫌いのなかったことを、祝福したい。」

「ユダヤ人迫害の実録 『ゲシュタポ』宮田文子著」書評『週刊読売』1961.9.3

アドルフ・ヒットラー『わが闘争 完訳版』第三巻、平野一郎、将積茂訳、黎明書房 1961.9.10

篠原一「〝ナチもの〟ブームの転機 アドルフ・ヒトラー著『わが闘争』の完訳と学界の新動向」『日本読書新聞』1961.9.18

「戸塚文子著『イスラエルの旅』」(紹介)『図書新聞』1961.9.23

笠松章「最もヨーロッパ的な 精神に対する生物学主義批判の立場」(フランクル『神経症Ⅰ、Ⅱ』書評)『週刊読書人』1961.9.25

開高健「獣のしるし アイヒマン裁判総括の試み」『文藝春秋』1961.10

「アイヒマン裁判をめぐって」『世界』1961.10

開高健「アイヒマン法廷とカメラ」『アサヒカメラ』1961.10

赤岩栄「〝栄光への脱出〟を観て」『指』1961.10

瓜生忠夫「大虐殺のもつ重み 「栄光への脱出」についての第三の意見」『映画芸術』1961.10

村松剛「澄んだ無心な眼で」(戸塚文子『ユダヤの国』書評)『週刊読書人』1961.10.2

「ヨーロッパの戦争文学」(座談会:白井健三郎、佐伯彰一、桜井正寅、平田次三郎)『週刊読書人』1961.10.16(平田 フランスでは占領下における抵抗運動というものがいろいろ文学化されているわけでしょう。詩にもなっているし・・・・・・。/白井 そういうものはあまりないですね。抵抗の姿を欠いている方が多いですね。/桜井 たとえばドイツ人が非常に残虐であるとか、暴力を使うとかいうようなことは、あまり露骨に書いてありませんか。/白井 そういうのはあまりないですね。だから、アウシュヴィッツ的なものは別の形として現われているけれども。/桜井 そういう点でおもしろいと思うのはフランス映画でナチの占領軍を描くと、ものすごく悪者に撮ることですね。フランス映画の場合にはある型があって、どれを見てもきまっている。文学の場合は、そういう点は違いますか。/白井 文学では、抵抗の姿の方に重きを置いていますね。アウシュヴィッツ的なものを書いた人は、話に聞くだけで、実際にナチの拷問なんか直接体験していないわけです。体験して逃げたという前に殺されているから、見てないから書けないわけです。ただ、もっとあとになって、実際に体験したのが現われたのは、アルジェリアでやったのを逃げ出したやつが書いたけれども、ドイツとの戦闘とか、そういったのはあまり見かけない。)

1961.10.20 アラン・レネ「夜と霧」公開

野間宏「私を見つめる冷たい目 アラン・レネエ「夜と霧」を見て」1961.10(『野間宏全集』第17巻所収)

荻昌弘「夜と霧 ナチの罪状をえがく決定版」映画評『週刊朝日』1961.10.27

「ベストセラーの16年」『日本読書新聞』1961.10.30(『アンネの日記』について)

開高健「砂漠に生れた理想主義 五十年余カ国の人間が作った雑種国の横顔」『文藝春秋』1961.11

「特集『夜と霧』」『映画評論』1961.11(岡本博「現在の時間として「誰が責任者か」という問い」;佐藤忠男「収容所の煉瓦の赤さ」;秦早穂子「ある考えの方向」)

岡田晋「「夜と霧」 アラン・レネの特質」『キネマ旬報』1961.11月上旬

北川冬彦「夜と霧」『キネマ旬報』1961.11月下旬

荻昌弘「世界の独裁者たち ものすごい惨劇の記録」映画評『週刊朝日』1961.11.24

W・シェフラー『ナチスとユダヤ人 600万人虐殺の記録』(原著1961)朝広正利訳、講談社、1961.11.25

1961.11.25 フェリックス・フォン・ポドマニツキー「世界の独裁者たち」公開

「夜と霧 アラン・レネ監督」グラビア『映画芸術』1961.12

埴谷雄高「映画随想 『雨のしのび逢い』『夜と霧』」『世界』1961.12

北川隆吉「映画は〝歴史〟の真実をとらえうるか 「世界の独裁者たち」と「夜と霧」から」『映画芸術』1961.12

田川力哉「アラン・レネエの人間不信 「夜と霧」」『映画芸術』1961.12

篠原一「さかんなナチ研究」『朝日ジャーナル』1961.12.1

田山力哉「「夜と霧」の採録シナリオ」『キネマ旬報』1961.12 増刊号

「アイヒマン裁判の波紋 弁護人も渦の中に」『日本読書新聞』1961.12.4

1961.12.6 チェコ映画「暁の全滅作戦」(原題 Capitan Davac)公開

「アイヒマン裁判に思う 大局的には是認 法的には疑問点残るが」『朝日新聞』1961.12.16 14面(高野雄一、竹山道雄、犬養道子の見解)

荻昌弘「暁の全滅作戦 ナチの残虐への静かなのろい」映画評『週刊朝日』1961.12.15

村松剛『大量殺人の思想』文藝春秋社 1961.12.20

犬養道子「国連が裁くべきだった アイヒマン判決をきいて」『週刊朝日』1961.12.29

W・L・シャイラー「もしヒトラーが勝っていたら・・・ 日・独、ロッキー山脈で米を分割」『週刊朝日』1961.12.29

1962年

縫田清二『アイヒマン裁判』外務省中近東アフリカ部中近東課、1962

野間宏「「夜と霧」と「二十四時間の情事」」1962.1(『野間宏全集』第17巻所収)

清水千代太「骨抜きにされた「夜と霧」」『スクリーン』1962.1

「10冊の本 時の問題理解のために ナチズム 本格的研究は今後 熟読玩味すべきマイネッケの分析」『週刊読書人』1962.1.8

「ドイツとアイヒマン 判決」『世界週報』1962.1.9

高桑純夫「われらの内なるアイヒマン アイヒマン裁判の訴えるもの 現代ニヒリズムの底流」『図書新聞』1962.1.13

大原寿人「われらの内なるアイヒマン アイヒマン裁判の訴えるもの 宗教的な神秘劇 復讐と報復を求めながら、未来の安全と生き残った人間への保証を要求する」『図書新聞』1962.1.13

アドルフ・アイヒマン「手記 絞首刑を宣告されて 《だが、いま、私はまだ生きている》」『週刊新潮』1962.1.15

村瀬興雄「ナチズム20世紀の悪夢 記録文書による事実 アイヒマン裁判や虐殺の実情を」(シェフラー『ナチスとユダヤ人』、村松剛『大量殺人の思想』書評)『週刊読書人』1962.1.15

山下肇「核心つかむ現地報告 自国の暗い面を大胆にえがく」(村松剛『大量殺人の思想』、シェフラー『ナチスとユダヤ人』書評)『日本読書新聞』1962.1.15

埴谷雄高「アイヒマン裁判の帰結」『京都新聞』1962.1.16

「W・シェフラー『ナチスとユダヤ人』―六〇〇万人虐殺の記録」『図書新聞』1962.1.27

塚本重頼「アイヒマンの裁判」『自由と正義』1962.2

中野孝次「収容所の人々 恐怖と死のなかの決断と行動」(ブルーノー・アービッツ『裸で狼の群のなかに』書評)『日本読書新聞』1962.2.19

「ニュールンベルグ裁判 スタンリー・クレイマー作品」グラビア『キネマ旬報』1962.2月下旬

草壁久四郎、河上英一、林六郎(鼎談)「「ニュールンベルグ裁判」と国際政治の焦点」『キネマ旬報』1962春の特別号

アドルフ・アイヒマン「わが逃走 虐殺者アイヒマンの告白・第二部」木下秀夫訳、『文藝春秋』1962.3

高桑純夫「アイヒマン裁判の意味するもの アイヒマンはわれわれの内部にもいる」『小五教育技術』1962.3

1962.3.9 ミネリ「黙示録の四騎士」公開

荻昌弘「黙示録の四騎士 アメリカ版反ナチ物語」映画評『週刊朝日』1962.3.16

竹山道雄「地獄の跡を見る ダハウのユダヤ人収容所の印象」『文藝春秋』1962.4

佐藤忠男「ニュールンベルグ裁判」『映画評論』1962.4

草壁久四郎「ニュールンベルグ裁判」とクレーマー ベルリンのワールドプレミアに出席して」『映画芸術』1962.4

「海外短信 ユダヤ人虐殺分析への新しい視点 アメリカ」(ラウル・ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の破壊』紹介)『日本読書新聞』1962.4.16

佐々木基一「良かれ、悪しかれ、わが祖国 ニュールンベルグ裁判」『キネマ旬報』1962.4月下旬

『世界ノンフィクション全集28』筑摩書房 1962.4.20(オルガ・レンゲル『アウシュヴィッツの五本の煙突』(原著1947)、インゲ・ショル『白バラは散らず』(原著1960)、ダヴィド・ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』(原著1960)、山下肇編『戦没学生の日記』)

1962.4.28 クレイマー「ニュールンベルグ裁判」公開

角田房子「イスラエルの女兵ソニヤの恋」『婦人公論』1962.5

岩崎秀夫「アメリカ映画の良心 「ニュールンベルグ裁判」その他」『映画評論』1962.5

「ニュールンベルグ裁判」映画評『キネマ旬報』1962.5月上旬

荻昌弘「無節操な政治への批判 ニュールンベルグ裁判」映画評『週刊朝日』1962.5.4

「『ニュールンベルグ裁判』を裁判する 日本人元戦犯の体験を批判」(座談会:大西一、田中勘五郎、福島政雄、峰尾静彦、山本二郎、若松斎、井上忠雄、司会・今日出海)『週刊読売』1962.5.13

阿部知二「抵抗と信条 戦死者を呼んで来て語らせよ」(筑摩書房『世界ノンフィクション全集28』(オルガ・レンゲル『アウシュヴィッツの五本の煙突』、インゲ・ショル『白バラは散らず』、ダヴィド・ルビノーヴィチ『ダヴィドの日記』、山下肇編『戦没学生の日記』)書評)『日本読書新聞』1962.5.14

「ワルソー・ゲットー フレデリック・ロシフ作品」グラビア『キネマ旬報』1962.5月下旬

戸井田道三「ニュールンベルグ裁判」映画評『キネマ旬報』1962.5月下旬

「奇蹟の医師 ナチスから多数の命を救った男」(ジョゼフ・ケッセル『奇蹟の指を持つ男』書評)『日本読書新聞』1962.5.21

「映画 〝アメリカの良心は消えず〟の偽装された証明」(「ニュールンベルグ裁判」映画評)『日本読書新聞』1962.5.28

1962.6.1 アイヒマン処刑

竹山道雄「力が格闘する国 どうしてキリスト教世界に、あのような悪魔的なことが起り得たか、筆者の到達した結論」『文藝春秋』1962.6

埴谷雄高「映画随想 『ニュールンベルグ裁判』」『世界』1962.6

有馬頼義「「ニュールンベルグ裁判」を見て」『映画芸術』1962.6

林逸郎「映画「東京裁判」の製作を提唱する」(「ニュールンベルグ裁判」の感想を交えて)『映画芸術』1962.6

「ワルソー・ゲットー」映画紹介『キネマ旬報』1962.6月上旬

「「アンネの日記」再演へ 交互公演レパートリー変更」/「初演の劇評集 豊かなアンネの心 感動呼ぶ隠れ家の生活記録」『民芸の仲間』1962.6.1

村松剛『ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』角川書店 1962.6.10

紅「アイヒマンの「神」」『週刊朝日』1962.6.15

1962.6.16 ロッシフ「ワルソー・ゲットー」公開

朝広正利「虐殺の実情 ぼう大な公判記録を材料」(村松剛『ナチズムとユダヤ人』書評)『日本読書新聞』1962.6.18

荻昌弘「ユダヤ地区の悲惨な記録 ワルソー・ゲットー」映画評『週刊朝日』1962.6.22

「大量殺人の証言」(村松剛『ナチズムとユダヤ人―アイヒマンの人間像』(紹介)1962.6.30

渡辺浩「トリビアルに見た「ニュールンベルグ裁判」」『映画評論』1962.7

北川隆吉「現代政治と人間と 「ニュールンベルグ裁判」の現実性」『映画芸術』1962.7

小川徹「ナチ残虐映画をどうみるか ヒトラーは「ワルソー・ゲットー」を演出した!」『映画評論』1962.7

佐藤忠男「《死》までの記録 「ワルソー・ゲットー」」『映画芸術』1962.7

埴谷雄高「映画随想 『ワルソー・ゲットー』」『世界』1962.7

「「アンネの日記」24日に開幕 再演のみどころ」『民芸の仲間』1962.7.1

菊盛英夫「〝裁判〟傍聴の体験から 客観的な事実の考察と確信ある説得力」(村松剛『ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』書評)『週刊読書人』1962.7.2

「女性新劇ファンを逃がすな 『アンネの日記』再演の観客対策」『週刊新潮』1962.7.23

「新人牧〔理恵〕の好演技 民芸「アンネの日記」 再演の効果十分」『朝日新聞』1962.7.30 夕刊

井沢淳「ワルソー・ゲットー」映画評『キネマ旬報』1962.8月上旬

本地盈輝「再び清新な感動 「アンネの日記」再演の初日をみて」/菅原卓「「アンネの日記」再上演に」『民芸の仲間』1962.8.1

佐久間穆「割切れぬドイツ人のユダヤ観 意外に根深い人種偏見」『朝日ジャーナル』1962.8.5

G・アンデルス、C・イーザリー『ヒロシマわが罪と罰』(原著1961)篠原正瑛訳、筑摩書房 1962.8.5

庄司浅水『世界残酷ものがたり ネロからアイヒマンまで』講談社 1962.8.25

開高健「裁きは終わりぬ 聲の狩人(五)」『世界』1962.9

「アイヒマンの仕返し」『JREA』1962.9

磯部佑一郎「アイヒマン死すともうらみは残る」『世界ジャーナル』1962.9

村松剛「歴史を裁くことのむつかしさ 「オットーと呼ばれる日本人」「ニュールンベルグ裁判」にみる、民族と戦争責任の問題」『論争』1962.9

井上誠「アイヒマンの処刑」『論争』1962.9

大友健児「アイヒマン裁判の法理論」『産業と科学』1962.9

菅原卓「『アンネの日記』と四人のアンネ」『新劇』1962.10

木原孝一「象徴的ヴィジョンに欠ける劇団民芸上演『アンネの日記』」『新劇』1962.10

開高健『声の狩人』岩波書店 1962.11.20

「第二のアイヒマン捕まる ナチの《殺人トラック》考案者」『週刊現代』1962.12

中島健蔵「激動する世界史のなかで 開高健著『声の狩人』」書評『週刊朝日』1962.12.14

1963年

江藤文夫「映画による現代史の方法」(アラン・レネ「夜と霧」に言及)『日本読書新聞』1963.1.28

竹山道雄『剣と十字架 ドイツの旅より』文芸春秋新社、1963.2

1963.2.26 「勝者と敗者 続・わが闘争」(1961 スウェーデン)公開

宮田光雄「溢れるような人間への共感 興味深い著者のヨーロッパ文明史観」(竹山道雄『剣と十字架』書評)『週刊読書人』1963.3.18

「続・わが闘争 トーレ・シェーベルイ作品」グラビア『キネマ旬報』1963.3月下旬

「勝者と敗者 続・わが闘争」映画紹介『キネマ旬報』1963.3月下旬

縫田清二「ユダヤ人の執念 記憶することは道徳である」『朝日ジャーナル』1963.3.31

飯島耕一『現代日本詩集13 何処へ』、思潮社、1963.4.1(1961年1月にアウシュヴィッツの遺品を見て書かれた「匙」を収録)

「週刊誌から オリンピック アウシュヴィッツ」『日本読書新聞』1963.4.1

江藤文夫「勝者と敗者 続・わが闘争」映画評『キネマ旬報』1963.4月下旬

竹山道雄「善の独占 法王とユダヤ人の場合」『東京新聞』1963.4.21

「ポーランドで収容所の回想記」(マルチン・グリダ『私は番号の一つだった』、タデウシュ・チャイカ『赤色の点』紹介)『日本読書新聞』1963.5.13

西義之「ドイツ知識人とローマ法王」『自由』1963.6

大島渚「「日本の夜と霧」再上映に当って」『日本読書新聞』1963.6.3

西川正雄「多くの資料を利用 〝第三帝国〟の本質を明らかにする」(グラーザー『ヒトラーとナチス』書評)『週刊読書人』1963.6.24

竹山道雄「聖書とガス室」『自由』1963.7-10

武井昭夫「「日本の夜と霧」再上映に 三年目の芸術前衛」『日本読書新聞』1963.7.22

中桐雅夫「難民、そして詩人 抒情の奥部屋に横になれない」(飯島耕一『何処へ』書評)『日本読書新聞』1963.8.5

山室静「文学 10月の状況」『週刊読書人』1963.9.30(竹山道雄が『自由』に連載した「聖書とガス室」に触れて、「キリスト教側からの反論を期待したい。」)

伊東光晴「空転する平和運動の姿 核心をつく「広島・1963年夏」」(佐藤行通らによる「広島アウシュビッツ平和行進」を写真で紹介)『日本読書新聞』1963.10.7

轡田収「法王とナチス 西独のカトリック論議進む」(ホーホフート『代表者』(『神の代理人』)を紹介)『日本読書新聞』1963.10.7

カ・ツェトニック『ダニエラの日記 ユダヤ少女の死の記録』(ヘブライ語原著1953)蕗沢紀志夫訳、河出書房新社、1963.10.20(1956年刊『痛ましきダニエラ』の新装版)

西川正雄、村瀬興雄「ナチズム研究の古典二つ 先駆的段階の大作 ナチ社会の階級的性格を執拗に追及/神話の総合として 国家主義の先駆者達の著作を材料に」(ノイマン『ビヒモス』、ノイロール『第三帝国の神話』書評)『週刊読書人』1963.11.18

村松剛「大戦下の英雄物語 ワルシャワ・ゲットーの蜂起描く」(ユリス『ミーラ街十八番地』書評)『週刊読書人』1963.11.25

吉田俊雄「ユダヤ人と特務機関長 迫害うち続くユダヤ民族を救った安江大佐の生涯」『文藝春秋』1963.12

小松茂夫「混迷と恐怖の支配 フランツ・ノイマン『ビヒモスーナチズムの構造と実際』」『朝日ジャーナル』1963.12.8

藤島宇内「大虐殺の真相を究明 未来に向って戦いを挑む告発の刃」(姜徳相、琴秉洞編『関東大震災と朝鮮人』書評)『日本読書新聞』1963.12.9(「第二次大戦後、ナチの残虐行為、ヨーロッパ各国のアフリカにおける植民地支配、アメリカの黒人差別などについては、熱心に紹介し、論評し、ルポルタージュを書くこともいとわなかった日本の学者、言論人が、日本の朝鮮における植民地支配、在日朝鮮人に対する残虐行為については無関心だった。なぜか。問題にふれることが恐ろしいからである。この問題を正当に追及する者は、社会的立場が不利になる恐れがあったからである。」

1963.12.20~1965.8.10 アウシュヴィッツ裁判

1964年

「「アンネの日記」「泰山木の木の下で」六四年度東京公演 交互公演で幕あける 隠れ家で明るく生き抜く 「アンネの日記」 アンネ、樫山文枝に代る」『民芸の仲間』1964.2.1

「村松剛氏の二著」(村松剛『ユダヤ人』『女性的時代を排す』紹介)『図書新聞』1964.2.1

「村松剛著『ユダヤ人』」『日本読書新聞』1964.2.3

「暗い日々を明るく 民芸公演「アンネの日記」 新人・樫山文枝が好演」『朝日新聞』1964.2.11 夕刊

「5代目『アンネの日記』 抜擢された民芸の樫山文枝さん」グラビア『週刊現代』1964.2.13

「初役が新風を吹き込む 「アンネの日記」東京公演演劇評から」『民芸の仲間』1964.3.1

岩渕正嘉「深いナチの爪あと」 ポーランドの女流作家たち」(マリア・ドンブロフスカ、ワンダ・カルチェフスカ、ワンダ・プウタフスカ、ステファニア、グロジェニュスカ、セヴェリナ・シュマグレフスカについて)『日本読書新聞』1964.3.2

「村松剛氏の三著」(『古代の光を求めて』『ユダヤ人』『女性的時代を排す』紹介)『週刊読書人』1964.3.9

鈴木道彦「サルトルとアルジェリア戦争 ヨーロッパへの絶望 「アルトナの幽閉者」が示す〝原本的〟な対決の姿」『日本読書新聞』1964.3.16

浦山桐郎「僕ののら犬東西紀行4 アウシュヴィッツを訪ねて」『映画芸術』1964.4

北村光代「小中学生の読書感想文 深くものを考える」(『アンネの日記』を読んで)『週刊読書人』1964.4.6

角田房子『ダビデの星 パスポート四万キロ』毎日新聞社、1964.4.15

宮田光雄『西ドイツ その政治的風土』(「世論にみるアイヒマン裁判」の節)、筑摩書房、1964.4.30

植田英子「民芸公演を観て 中学生の『アンネの日記』評/『泰山木の木の下で』評」『新劇』1964.5

多津木慎「ローマ法王に責任はなかった 『代理者』とヴァチカン」『自由』1964.5

城塚登「ナチズム虚像を剔出 革新路線を求める知識人の姿も」(宮田光雄『西ドイツ』書評)『日本読書新聞』1964.5.18

「ドイツにもどったユダヤ人 郷愁か? よき生活か?」『朝日ジャーナル』1964.6.14

羽仁五郎「近代と現代(Ⅲ)花田清輝君との対話」『思想』1964.7

白井健策「もっと知ってよい国17 イスラエル つくられた国」『朝日ジャーナル』1964.7.5

渡辺善太「現代的な姿勢で ユダヤ人の日本渡来史も」(杉田六一『イスラエル史雑考』書評)『図書新聞』1964.7.25

竹山道雄「罪責 ローマ法王と天皇の場合」『心』1964.11

恩地日出夫「パサジェルカ」『シナリオ』1964.11

中島清次『見て来たイスラエル』、青年希望の家の会、1964.11.5(「死の谷と虐殺記念館」の章)(「其処を出る時一人一人にバッチが渡されます。それには、「うらみを忘れるな」と記されて居ります。/六〇〇万人の人間を虐殺したことは人類史上稀に見る悲しむべきことがらではありますが、私は正直なところ嫌やな気にさせられました。/此処に来る前に印度を訪れ、異教徒に殺害されたガンヂーの墓を参拝しましたが、その墓には、/「、神よ」(ヘ・ラーム)/とひとことしか記されて居りませんでしたし、終戦の折蒋介石の云った。/「暴に報ゆるに徳をもつてせよ」/と云う、あの有名な言葉が、反射的に浮んで参りました。/今世紀に二度の大きな戦いを経験した私達は、その古い戦いの歴史を考えると共に、私達の叡智が怨みの繰り返しを行うことのおろかしさを泌々とかみしめる時ではないかと考えるからです。/しかし同胞が一度に六〇〇万人しかも非戦闘員が目に余る虐殺をされた場合私の考えも異って来るかも知れません。)

R・ホーホフート『神の代理人』(原著1963)森川俊夫訳、白水社 1964.11.20

村瀬興雄「〝教会闘争〟の好著 ヒトラー政権下の抵抗運動」(森平太『服従と抵抗への道 ボンヘッファーの生涯』書評)『週刊読書人』1964.11.23

松本俊夫「忘却と責任と 映画「パサジェルカ」をみて」『日本読書新聞』1964.11.30

「「アンネの日記」感想文入選発表」『文藝春秋』1964.12

「パサジェルカ」『映画ストーリー』1964.12

佐藤重臣「「パサジェルカ」で出会った事柄」『映画評論』1964.12

岩渕正嘉「アンジェイ・ムンクの作品と業績」(「パサジェルカ」評)『映画芸術』1964.12

「パサジェルカ」映画紹介『キネマ旬報』1964.12上旬

渡辺淳「「パサジェルカ」とムンク 共犯意識の探求」『キネマ旬報』1964.12上旬

岩渕正嘉「ユダヤ人の受難記」(ノエミ・ワインクランツ『ノエミの手記』書評)『日本読書新聞』1964.12.14

小倉真美「パサジェルカ」『キネマ旬報』1964.12下旬

1965年

岡田晋「監督の事故死のため未完成のまま発表された注目作 パサジェルカ」『スクリーン』1965.1

戸井田道三「現実がドラマを改変するとき 『パサジェルカ』と佐多啓二の場合」『映画芸術』1965.1

「パサジェルカ」映画紹介『小説新潮』1965.1

会田雄次「ナチを黙認した教皇 R・ホーホフート『神の代理人』」『朝日ジャーナル』1965.1.3

西義之「法王の沈黙を問う 沈痛な悲壮感みなぎる舞台」(ホーホフート『神の代理人』書評)『週刊読書人』1965.1.11

多津木慎「ユダヤ人の宿命 竹山道雄氏の教えを乞う」『自由』1965.2

中野孝次「法王の責任を告発 ショッキングな迫力をもつ劇」(ホーホフート『神の代理人』書評)『日本読書新聞』1965.2.15

石浜みかる『シャローム(こんにちは)イスラエル』、オリオン社、1965.2.20(「収容所出の男」の節)

佐藤久義「「パサジェルカ」の意図」『新日本文学』1965.3

縫田清二「鮮明な印象を一気に」(石浜みかる『シャローム・イスラエル』書評)『図書新聞』1965.3.13

「西独、アラブ諸国の対立 イスラエル承認問題の波紋」『朝日ジャーナル』1965.3.21

「『神の代理人』の波紋」『朝日ジャーナル』1965.3.28

中野五郎「狂ったナチス戦争犯罪秘集」『丸』1965.4

小辻誠祐(節三)『ユダヤ民族 その四千年の歩み』誠信書房、1965.4.1

縫田清二「ユダヤ的ユートピア 冷静で総括的な実態分析」(山根常男『キブツ』書評)『図書新聞』1965.4.10

森川俊夫「ドイツの戦犯事項問題 将来にのこる〝過去との対決〟」『朝日ジャーナル』1965.4.25

竹山道雄「キリスト教とユダヤ人の問題 多津木慎氏の教えを乞う」『自由』1965.5

トーマス・インモース「ピオ12世とユダヤ人殺害 ホーホフートの戯曲『神の代理人』について」『ソフィア』1965.6

杉田六一「該博な知識と独自な感激」(小辻誠裕『ユダヤ民族』書評)『日本読書新聞』1965.7.19

松浪信三郎「3500年にわたる歴史と宗教 ユダヤ教から見たキリスト教の問題を解明」(小辻誠祐(節三)『ユダヤ民族』書評)『週刊読書人』1965.7.26

加藤祐三、梶村慎吾『広島・アウシュビッツ平和行進青年の記録』弘文堂 1965.8.15

「原爆記録映画を公開せよ」『日本読書新聞』1965.8.23(伊藤寿恵男「広島、長崎に於ける原子爆弾の効果」について、「ナチスの暴虐行為を告発したフィルムはあれほど多くでているのに、もっとも歴史の将来を左右する原爆被災のフィルムをかたくなに公開しようとしないのは許しがたいことである。」)

多津木慎「ローマ法王の沈黙と抵抗 竹山道雄氏へ」『自由』1965.9

「特集 チェコの子どもの夜と霧」『太陽』1965.10(栗栖継「幼い子らが死ぬ前に テレジーン収容所に遺された絵と詩」/栗栖継「ぼくらは生き残った チェコ赤十字編〈子供は戦争に反対する〉より」/「ドキュメント ユダヤ人追放」/長野重一「死者の森の歌」/スツティク「一個のレモン」)

西義之「大量虐殺と殺人芸術の間 結審したアウシウヴィッツ裁判の意味するもの」『文藝春秋』1965.11

轡田収「強制収容所 背後の真実 P・ワイスの新作「調査」 黒い壁、チクロンB、焼却炉は特殊世界か」『日本読書新聞』1965.12.20

1966年

アーサー・ハミルトン「アイヒマン奪回作戦」『中二時代』『中三時代』1966.3

羽仁五郎「日本史研究会二十周年記念講演 現代に生きる歴史学徒の任務」『日本史研究』1966.3(「現代の歴史学はアウシュヴィツから出発しなければならない。これがぼくの結論である。」)

いぬいとみこ「アンネ・フランク 光ほのかに アンネの日記 抵抗と死と愛と」『朝日ジャーナル』1966.3.6

佐藤忠男「戦争記録映画の眼と心 何を記録し、何を訴えねばならないか 〝裁かれた事実〟の羅列 「十三階段への道」のパターンを踏襲 問われるべき方法論 多くの示唆を与える「夜と霧」」『週刊読書人』1966.3.21

ペーター・ヴァイス『追究 アウシュヴィツの歌』(原著1965)岩淵達治訳、白水社 1966.4.20

木島始「ある黒人詩集と一オランダ婦人 「アンネの日記」の芝居はみない」『日本読書新聞』1966.5.30

「山根常男『キブツの記録』」(紹介)『図書新聞』1966.6.4

長谷川四郎「裁判の記録的再構成 〝命令〟の背後の社会体制を衝く」(ヴァイス『追究』書評)『日本読書新聞』1966.6.13

西義之「戦後ドイツへの批判 カトリック的モラルの偽善をつく」(ハインリヒ・ベル『道化師の告白』書評)『日本読書新聞』1966.6.20

北見透「『追究』と参加の決意 ペーター・ヴァイスについてのノート」『新日本文学』1966.7

内山鶉「新しい観客のめざめへ 「アンネの日記」観客席から」『民芸の仲間』1966.7.1

堀田善衛「フランクル 夜と霧 日々の死のなかで」『朝日ジャーナル』1966.7.24

内村剛介「一ユダヤ少女の戦中日記 言葉と血の葛藤の病理をみる」(マーシャ・ロリニカイテ『マーシャの日記』刊行予告)『日本読書新聞』1966.8.22

マーシャ・ロリニカイテ『マーシャの日記 私は語らずにはいられない』、内村剛介訳、雪書房、1966.8

井上光晴「つき刺す〝幽閉者〟の声 自分のなかのサルトル」(『アルトナの幽閉者』をめぐって)『週刊読書人』1966.9.12

深見喜久男「時代意識がテーマだが、時代を越えて心をうつ情熱」(大島渚『増補版 日本の夜と霧』書評)『図書新聞』1966.10.1

林光「サルトルとデ・シーカの「アルトナ」 「ナチズム」の後始末 アルジェリア問題 真性左翼の行動を暗示しながら」『週刊読書人』1966.10.10

針生一郎「サルトルとデ・シーカ 映画「アルトナ」と原作戯曲の間」『日本読書新聞』1966.10.17

「アンネの日記 期待あつめる五度目の上演 六・七代目アンネ役=笹森みち子・日色ともゑ」/皆藤幸蔵「「アンネの日記」翻訳・出版まで」『民芸の仲間』1966.12.1

1967年

村上光彦「エリ・ヴィーゼルにかんする覚え書きⅠ」『成蹊大学文学部紀要』第3号、1967

「若人の共感呼ぶ 民芸「アンネ」 うまい日色 明るい笹森」『朝日新聞』1967.1.18 夕刊

西義之「重く深い内容の随筆集 竹山道雄氏の『人間について 私の見聞と反省』」『週刊読書人』1967.1.30

長谷川四郎「アウシュビッツの周辺で ポスムイシ『パサジェルカ〈女船客〉他』」『朝日ジャーナル』1967.1.22

「消えた〝恐怖の記録〟「アンネの日記」(民芸)」『サンデー毎日』1967.1.29(「健全な享楽主義といったムード」「恐怖の味はほんのかすか」「アンネという固有名詞が、生理用品の商品名と結びついてこっけい感を起こさせるほど、われわれの太平感覚はゆるぎなくなっている」)

羽仁進「ナチス・ドイツを執拗に追及 罪を自らの痛みとして感じる」(ポスムイシ『パサジェルカ』、アンジェイェフスキ『聖週間』、グロホヴィヤク『牙関緊急』書評)『日本読書新聞』1967.2.6

松岡洋子「ポーランド文学の三篇 主観的善意の虚しさ 第二次大戦中のユダヤ人迫害を」(アンジェイェウスキ『聖週間』、グロホヴィヤク『牙関緊急』、ポスムイシ『パサジェルカ』書評)『週刊読書人』1967.2.20

横掘洋一「東京裁判全員無罪論 連合軍の原爆投下を厳しく告発」(東京裁判研究会『パール判決書』書評)『日本読書新聞』1967.3.20(「ユダヤ人少女アンネを殺した戦犯を最近、自らの手で捕えて裁いた西独と、反共親米を免罪符とした戦犯の復活、無反省を許している日本・・・・・・。」)

古波藏保好「若い人のための映画幸福論 映画「アンネの日記」より」『スクリーン』1967.4

「アウシュビッツに慰霊碑」『朝日新聞』1967.4.17夕刊

「〝アウシュビッツ〟くりかえすまい 記念碑除幕式に13万人」『読売新聞』1967.4.17夕刊

「大量虐殺あばく証言 俳優座公演「追究」 事実の重さに衝撃うける」『朝日新聞』1967.5.17 夕刊

アナトリー・クズネツォーフ『バービイ・ヤール』(原著1966年)、草鹿外吉訳、大光社、1967.6.1

1967.6.5 第三次中東戦争始まる

どらごん「雑誌「自由」に拠る人たち ①竹山道雄 詩人的直観・洞察 裏づける綿密な論理の構成」『週刊読書人』1967.6.5

小林勝「ユダヤ人虐殺の歌 ペーター・ヴァイス「追究」をみて」『日本読書新聞』1967.6.5

笹川正博「アラブとイスラエルの強みと弱み」『朝日ジャーナル』1967.6.18

ジーモン・ヴィーゼンタール「殺人者はそこにいる」(原著1967年)、中島博訳、『週刊朝日』1967.6.25~8.25(1968年、朝日新聞社から単行本刊)

「私たちの見たアラブ諸国 イスラエル」『朝日ジャーナル』1967.6.25

K「イスラエル左翼と西欧知識人 帝国主義の道具シオニズム 限界暴露したサルトル」『図書新聞』1967.7.8

林武「ユダヤ人・その解放の神話 イスラエル「国家」の矛盾」『朝日ジャーナル』1967.7.16

岩渕正嘉「ヒロシマ/アウシュヴィッツ 「原爆の図」映画化にあたって」『月刊社会党』1967.8

ジャン=フランソワ・ステーネル『トレブリンカ 絶滅収容所の反乱』(原著1966)永戸多喜雄訳、河出書房 1967.8.25

村松剛「動乱後のイスラエルをゆく」『婦人公論』1967.9

エリ・ヴィーゼル『夜』(原著1958)村上光彦訳、みすず書房 1967.9.15

飯沢匡「緻密な演出」(「屋根の上のヴァイオリン弾き」劇評)『朝日ジャーナル』1967.10.1

松尾章一「アウシュヴィツから出発せよ 羽仁史学の魅力 一貫する人民史観 現代史学の課題・〝一九七〇年〟」『図書新聞』1967.10.28

長谷川竜生「神が消え、神になった少年 魂の漂泊を武器にするユダヤ人」(ヴィーゼル『夜』書評)『日本読書新聞』1967.11.13

内村剛介「〝絶望〟とはどういうものか 限界情況の体験記録(ヴィーゼル『夜』)が提示したもの 堂守りの隻語の衝撃 残骸の屈辱と絶望への無限の近接」『週刊読書人』1967.11.20

小川徹「革命行動へのファンタジー」(アラン・レネ「戦争は終わった」映画評)『日本読書新聞』1967.11.27

1968年

教材研究部「同和教育の教材と学ばせ方10 『アンネの日記』のことなど」『部落』1968.1

ジャン=ポール・サルトル「ジェノサイド(民族皆殺し)ーアメリカの行動を告発する」『朝日ジャーナル』1968.1.14

山下肇「カフカとユダヤ人の復権 チェコにおける「自由化」の波 矛盾と亀裂の結晶体 ネガで写し撮ったような奇怪な難問」『週刊読書人』1968.4.15

「サルトル『アラブとイスラエル』」(紹介)『図書新聞』1968.4.20

大島康正「ユダヤ民族はなぜ嫌われるか 富める民族のこの永遠の悩み」『現代』1967.8

今野敏彦『世界のマイノリティ 虐げられた人々の群れ』、評論社、1968.7.20

「質屋」(絵が紹介)『キネマ旬報』1968.7下旬

平岡正明「ホームドラマの葡萄状鬼胎化を論ず 日本の青春・セックス・チェック第二の性・質屋」『映画評論』1968.8

「質屋」(グラビア)『キネマ旬報』1968.8上旬

「ユダヤ難民四〇〇〇人の恩人 イスラエル、息子を留学に招待 ナチの迫害から守る 杉原さん 大戦中、ビザ交付」『朝日新聞』夕刊1968.8.2

荻昌弘「きびしい孤独人生を直視した秀作 「質屋」とロッド・スタイガーの演技」『スクリーン』1968.9

「新13階段への道」映画紹介『キネマ旬報』1968.9月上旬

クリスチャン・ベルナダク『呪われた医師たち ナチ強制収容所における生体実験』(原著1967年)野口雄司訳、早川書房、1968.9.15

田山力哉「質屋」映画評『キネマ旬報』1968.9下旬

山田和夫「新13階段への道」映画評『キネマ旬報』1968.9月下旬

インゲ・ドイチュクローン『アウシュヴィツの子供たち』(原著1965年)岩淵達治訳、河出書房新社、1968.10.25

ジャック・ドラリュ『ゲシュタポ 狂気の歴史』(原著1962年)、片岡啓治訳、サイマル出版会、1968.11.10

加賀乙彦「ナチ暴挙の現代的意味 人体実験の医学倫理」(ベルナダク『呪われた医師たち ナチ強制収容所における生体実験』書評)『週刊読書人』1968.11.11

久野収「対ナチ同化過程を追求 W・S・アレン『ヒトラーが町にやってきた』」『朝日ジャーナル』1968.11.24

高橋三郎「強制収容所における生と死 純粋非転向は可能か」『展望』1968.12

1969年

津村節子「幼い筆で描く地獄図」(インゲ・ドイチュクローン『アウシュヴィツの子供たち』書評)『週刊読書人』1969.1.27

大島辰雄編・訳「シナリオ 夜と霧 アラン・レネエ監督」『映画評論』1969.2

ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さに関する報告』(原著1963)大久保和郎訳、みすず書房 1969.9.21

K・スモーレン『アウシュヴィッツの悲劇』、小谷鶴次訳、柳原書店、1969.9.30(広島アウシュヴィッツ委員会関係者とともにアウシュヴィッツを訪れたことをきっかけに)

船戸満之「われわれは悪に至る陳腐を免れているか ハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン』を読む」『図書新聞』1969.10.25

西尾幹二「みごとなまでの冷静緻密な人間論 H・アレント著『イェルサレムのアイヒマン』」『波』1969.11

山口定「〝真理への意志〟の強靭さ アイヒマンとその裁判に関する報告」(アーレント『イェルサレムのアイヒマン』書評)『週刊読書人』1969.11.17

志水速雄「ナチ犯罪の新しさ」(アーレント『イェルサレムのアイヒマン』書評)『中央公論』1969.12

1970年

村上光彦「エリ・ヴィーゼルにかんする覚え書きⅡ」『成蹊大学文学部紀要』第6号、1970

西尾幹二「「状況」と「個人」の間に ハンナ・アレント「イェルサレムのアイヒマン」について」『諸君』1970.2

1970.4.11 ヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」公開

千賀正之「ユダヤ文学読む意義が 好短編、ロス『ユダヤ人の改宗』」(邦高忠二編『亡命とユダヤ人』書評)『図書新聞』1970.4.18

佐瀬昌盛「ハンナ・アーレント著 「イェルサレムのアイヒマン」」『経済往来』1970.5

長谷川四郎『恐しい本 ちくま少年図書館2 歴史の本』筑摩書房、1970.5.20(「ある少年の体験」の章でアウシュヴィッツ体験が語られる)

イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人とユダヤ人』、山本書店、1970.5.20

『全集・現代世界文学の発見. 第5 抵抗から解放へ』、学芸書林、1970.5.31(ワルシャワ・ゲットーの日記(カプラン著 田中勇訳) モーリツ・タッリウ(ペーター・ハックス著 五十嵐敏夫訳) 夜と霧(アラン・レネエ著 大島辰雄訳編) 奇妙な遊び(ヴァイヤン著 白井健三郎,渡辺淳訳) 隠れ家(ゼーガース著 針生一郎訳) 解説「抵抗」と「解放」の座標をめぐって(針生一郎))

『全集・現代世界文学の発見. 第6 実存と状況』、学芸書林、1970.6.30(アウシュヴィッツの唄(デルボー著 篠田浩一郎訳) アンリコ(ムルージ著 角山元保訳) 政治に関する対話(サルトル他著 朝比奈誼訳) 論争・新しい文化(ヴィットリーニ他著 河島英昭,川名公平,小出知子訳) サルトルとボーヴォワールへの質問(フォルティーニ編 河島英昭訳) ぼくの戦争 家にひとりで(ヴィットリーニ著 花野秀男,穂岐山道子訳) 詩人と政治家(クワジーモド著 古賀弘人訳) パヴェーゼの日記(米川良夫訳) 雑誌「叫び」より(リヒター他著 石黒英男訳) 解説 強制収容所から「革命的民主連合」へ(篠田浩一郎))

ハロルド・ローゼンベルグ「アイヒマン裁判の論理 組織・個人・責任」『展望』1970.7

「「アンネの日記」7月21日初日 日生劇場 六たびおくる感動の名作」『民芸の仲間』1970.7.1

安西篤子「アウシュヴィッツと広島と」(長谷川四郎『恐しい本』書評)『週刊読書人』1970.7.20

石原吉郎「ソ連収容所の夜と霧」『婦人公論』1970.10

「ユダヤ人2万に陰の恩人 ソ満国境に救援列車 ナチからの脱出援助 死去の樋口〔季一郎〕元中将に記念称号」『朝日新聞』1970.10.20

「「アンネの日記」沖縄公演へ」『民芸の仲間』1970.10.1

茨木憲「『アンネの日記』沖縄公演」『芸能』1970.11

エリ・ヴィーゼル『死者の歌』(原著1966年)、村上光彦訳、晶文社、1970.11.15

1971年

エリ・ヴィーゼル『夜明け』(原著1960年)、村上光彦訳、みすず書房、1971

山下肇『カフカ 現代の証人』、朝日出版社、1971.1

多津木慎「アウシュヴィッツに学ぶ フランクルとの対話」『自由』1971.2

「無削除 バービ・ヤール」(クズネトォフ『バービ・ヤール』の無削除版について)『図書新聞』1971.2.6

「ホーホフート=作 渡辺浩子=演出 神の代理人 4月3日待望の初日 東横劇場で」/森本俊夫「「神の代理人」の上演台本」/「「神の代理人」の舞台 演出家〔渡辺浩子〕に聞く」『民芸の仲間』1971.3.1

広河隆一『ユダヤ国家とアラブゲリラ』、草思社、1971.3.30

ハイム・ボトク『選ばれしもの』(原著1967年)、邦高忠二訳、早川書房、1971.3.31

「「神の代理人」各国上演の反響」/加藤衛「いよいよ日本の舞台に登場する「神の代理人」」『民芸の仲間』1971.4.1

佐伯彰一「不屈の闘志・情念・意欲 自家製ユダヤ人論」、『週刊読書人』1971.4.12

ロジャー・マンベル『ゲシュタポ 恐怖の秘密警察とナチ親衛隊』(原著1970年)(第二次世界大戦ブックス11)、渡辺修訳、サンケイ新聞社出版局、1971.4.30

加瀬英明「日本のなかのユダヤ人」『中央公論』1971.5

「マスコミが追ったベンダサン氏の正体」、『週刊読書人』1971.5.3

村松仙太郎「常識論に鋭く挑戦 一種のアラブ・イスラエル現代史」(広河隆一『ユダヤ国家とアラブゲリラ』書評)、『週刊読書人』1971.5.10

岡倉徹志「〝楽園〟キブツの裏側抉る」(広河隆一『ユダヤ国家とアラブゲリラ』書評)『図書新聞』1971.5.22

高橋徹「普遍的な共感をよぶ ユダヤ民族の伝統に現代を賦与」(ハイム・ボトク『選ばれしもの』書評)、『週刊読書人』1971.5.24

中野好次「カフカ受容の歴史 現代知識人の問題と「カフカ周辺」を」(山下肇『カフカ』書評)、『週刊読書人』1971.8.2

三浦朱門「ピオ12世はナチの代理人か」『諸君』1971.9

岩渕正嘉『虐殺者の記録 ナチス・ジェノサイド』、亜紀書房、1971.9.20

樋口季一郎『アッツ、キスカ・軍司令官の回想録』芙蓉書房、1971.10.11(「二万のユダヤ人を救う」の節、ならびに河村愛三による解説「満・ソ国境のユダヤ難民救出について」)

近衛秀麿「ユダヤ・両陣営・日本」『心』1971.11

1972年

ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所 所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』、片岡啓治訳、サイマル出版会, 1972

多津木慎(二宮信親)『キリストとマルクス 東欧思想紀行』サイマル出版会、1972

村上光彦「ユダヤ民族のあかし『イディッシュ詩詞歌集』」『朝日ジャーナル』1972.3.1

図版『アウシュビッツ展』1972.4(エメリカ・イバシコ、タデウシ・イバシコ「アウシュビッツで何が行なわれたか」、霜山徳爾「人間として何が問われているか」、開高健「・・・それでもわからない」、小谷鶴次「ヒロシマのことなど」)

1972.5.30 テル・アヴィヴ空港乱射事件

大木英夫「現代の人間はユダヤ人化する 世界化過程のなかで故郷を出立する旅人」、『週刊読書人』1972.6.19

カ・ツェトニック135633『愛と虐殺』(原著1969年)、蕗沢紀志夫訳、立風書房、1972.6.20

永田松雄「アウシュビッツ展」『日通文学』1972-8(「ささやかにいのちを点す日々におりアウシュビッツ展見むとわが来つ」「銃口に手を挙ぐる幼児いくばくを生きてありしやと写真に見入る」「ユダヤびとの憩いのひまもおびえけむ木製ベット答えてはくれず」「素裸の駈くる女ら浴室にガスのシャワーの待つとも知らで」「折り重なる屍の上に涸れし腕をすがるが如く伸す一体」「アウシュビッツ見終りて出でし街頭に五月の太陽にわかにまぶし」)

高杉晋吾「差別構造の底辺の声から 増殖するアイヒマンを討つ」、『週刊読書人』1972.8.7

霜山徳爾「収容所文学の新しい秀作 アウシュヴィッツ体験を文学の高みまで昇華」(カ・ツェトニック135633『愛と虐殺』書評)、『週刊読書人』1972.8.21

アンドラス・ホルバト「日本人の中の危険なヒトラー なぜ「反ユダヤ主義者」になるか?」『サンデー毎日』1972.9.3

柴田平三郎「〈反ユダヤ主義〉生成と展開の過程」(ハナ・アーレント『全体主義の起源 1反ユダヤ主義』書評)、『週刊読書人』1972.9.4

エリ・ヴィーゼル『昼』(原著1961年)、村上光彦訳、みすず書房、1972.10

森恭三「アウシュビッツと現代」『潮』1972.10

村上光彦「エリ・ヴィーゼルの世界(上)「証言の文学」」『思想』1972.10

村上光彦「エリ・ヴィーゼルの世界(下)「証言の文学」」『思想』1972.11

ピエール・ジョッフロワ、カリン・ケーニヒゼーダー編『アイヒマンの告白 裁きの日の前に』(原著1970)大久保和郎訳、番町書房 1972.12.10

1973年

ダビッド・ベングリオン『ユダヤ人はなぜ国を創ったか : イスラエル国家誕生の記録』(原著1971年)、中谷和男、入沢邦雄訳、サイマル出版会、1973

羽仁五郎『アウシュヴィッツの時代』、潮出版、1973.1.25

長田弘『アウシュヴィッツへの旅』、中央公論新社、1973.2.25

ジョゼフ・P・ブランク「アイヒマンを追いつめた男」『リーダーズダイジェスト』1973.4

相良俊輔『流氷の海 ある軍司令官〔樋口季一郎〕の決断』光人社、1973.4.1

大熊信行「なぜ「原水爆の時代」ではないのか 羽仁五郎氏の〝現代の考察〟への疑問」(羽仁五郎『アウシュヴィッツの時代』書評)、『週刊読書人』1973.4.2

岩田宏「死者に憑かれた旅 「重い恥辱」を感じつつ生き方を模索する」(長田弘『アウシュヴィッツへの旅』書評)、『週刊読書人』1973.4.2

クリスチナ・ジウルスカ『ワルシャワの夜と霧 クリスチナの青春』(原著1972年)三輪秀彦訳、日本リーダーズダイジェスト社、1973.4.10

ワンダ・プウタフスカ『そして私は夢を恐れる』、岩淵正嘉訳、世紀社出版、1973.4.10

竹山道雄、高島辰彦、河村愛三「座談会 ひとつの昭和史 日本陸軍とユダヤ人」『自由』1973.6

小中陽太郎「アンネの日記」『朝日ジャーナル』1973.7.2

高尾利数「シオニズムとは何か? 歴史の暗いイロニー」、『週刊読書人』1973.8.13

板垣雄三「シオニズムの反セミティズム性とナチズムのシオニズム性」『現代史研究』1973.8.20

竹内良知「H・ルフェーブルのアウシュヴィッツ論」『歴史と人物』1973.9

清水幾太郎「あるユダヤ人の思い出」『歴史と人物』1973.9(カール・レーヴィットとJ・B・クラウスの思い出)

三宅正樹「ヒトラーと日本 人種理論と軍事同盟」『歴史と人物』1973.9

西野照太郎「シオニストの指導者の回想 ユダヤ側からみたパレスチナ戦争」(ベングリオン『ユダヤ人はなぜ国を創ったか』書評)、『週刊読書人』1973.9.17(「米英政府がその気にさえなれば、[マーカス・ガーヴェイの]「アフリカ帰還」は実現されやすかった筈である。それにもかかわらずガーヴェイの要求は拒否され、ベングリオンの要求はかなえられたのは何故か。六百万のユダヤ人がナチスに殺されたという人類の悲劇が、直接的で最大の理由であったことは否定できない。しかし、米英の支配層がユダヤ人とアフリカ系黒人の間に、人種的優劣について差別感をもっていることが、根本的な理由ではなかったであろうか。」)

ボグダン・ヴォイドフスキほか『この明日なき旅路』、岩淵正嘉訳、世紀社出版、1973.9.20

池田浩士「〝脱精神の歴史〟を明かに ナチズムの源流となったイデオローグたちの思想を探る」(ピーター・ヴィーレック『ロマン派からヒトラーへ ナチズムの源流』書評)、『週刊読書人』1973.11.5

エリ・ヴィーゼル『幸運の町』(原著1962年)、村上光彦訳、みすず書房、1973.11.28

1974年

アンナ・パウェルチンスカ「適応と生き残ること アウシュビッツの体験から」『朝日ジャーナル』1974.1.18

特集「危険な映画とナチ体験」『映画芸術』1974.4-5(秋山駿「滅亡へ生きる青春」、磯田光一「〝神聖ドイツ帝国〟の心理と論理 わが闘争」、鈴木清順「わがナチ体験 ベルリンの英雄」、石堂淑朗「ユンカース爆撃機にしびれる」、小川徹「なぜ天皇でなくヒットラーを憧憬したか」、内村剛介「チャップリンにも見えなかった」

黒田秀俊『南京・広島・アウシュヴィッツ 戦争と殺戮』、太平出版社、1974.6.10

シモン・ラックス、ルネ・クーディー『アウシュヴィッツの奇蹟 死の国の音楽隊』(原著1948)大久保喬樹訳、音楽之友社、1974.6.25

松田政男「パレスチナ・解放の思想 アラブは果たしてひとつか」『図書新聞』1974.7.20

「「夜と霧」の亡霊 ナチ戦犯追及をめぐって緊迫する独仏関係」『朝日ジャーナル』1974.8.2

ヴィクトール・クレムペラー『第三帝国の言語LTI ある言語学者のノート』(原著1947/1949年)、羽田洋、藤平浩之、赤井慧爾、中村元保訳、法政大学出版局、1974.9.1

石垣綾子「日記から エルサレム」『朝日新聞』1974.9.10夕刊(「放浪の民としてさんざんいじめられ、ナチの時代には虐殺につぐ虐殺のひどいしうちを受けた過去がありながら、パレスチナの土地を奪い、イスラエル国家を手にすると横柄(おうへい)に選民としてふるまっている。」)

船戸満之「ヒトラーの〝悪夢〟復活? そのブームは何を意味するか 終末論的ムードの中で あってはならぬ未来への警告」、『週刊読書人』1974.9.16

木村靖二「ヒトラー関係書案内」、『週刊読書人』1974.9.16

エリ・ヴィーゼル『エルサレムの乞食』(原著1968年)、岡谷公二訳、新潮社、1974.9.25

村上光彦「不思議な雰囲気の夢幻劇 神殿復興を目ざすユダヤ民族の思想」(エリ・ヴィーゼ『エルサレムの乞食』書評)、『週刊読書人』1974.11.25

1975年

ヨアヒム・フェスト『ヒトラー』(上・下)(原著1973年)、赤羽瀧夫、関楠生訳、河出書房新社、1975.2.28

M・トケイヤー「日本とユダヤ人」『月刊イスラエル』1975.4(「ユダヤ人の恩人」として杉原千畝に言及)

清水多吉「ファシズムの耽美主義化 変わりつつある近代史、戦後史の視座 強制収容所時代への郷愁 三〇年代を現在たらしめるとは?・・・」、『週刊読書人』1975.4.21

船戸満之「〝ヒトラー・ブーム〟の総括 タブーに挑戦する免責されている世代の伝統」(フェスト『ヒトラー』(上・下)書評)、『週刊読書人』1975.7.7

倉橋由美子『倉橋由美子全作品1』「作品ノート」新潮社、1975.10.20

倉橋由美子『倉橋由美子全作品2』「作品ノート」新潮社、1975.10.20

1975.11.1 リリアーナ・カヴァーニ「愛の嵐」封切り

A・M・エル=メシリ「排他的な政治理想を排す シオニズムと人種差別」『朝日ジャーナル』1975.12.12

1976年

エリ・ヴィーゼル『コルヴィラーグの誓い』(原著1973年)、村上光彦訳、白水社、1976.1.10

相良俊輔『人類愛に生きた将軍 : ユダヤ難民救出秘話』国土社、1976.5.30(樋口季一郎伝)

長田弘「アウシュヴィッツ以前以後」『岩波講座 文学8 表現の方法5 新しい世界の文学』岩波書店、1976.8.30

「グラビア――映画「灯は生きていた」」『まなぶ』1976.9

「シンポジウム ホロコストと民族の再興」『月刊イスラエル』1976.10/11~1977.10連載(1973年、ヤド・ヴァシェムで開催された特別シンポジウムの記録)

1977年

阿部野人「灯は生きていたのこと」、『社会主義』1977.1

マルタン・グレイ『愛する者の名において』(原著1971年)長塚隆二訳、早川書房、1972.1.31

遠藤周作「アウシュヴィツ収容所を見て」『新潮』1977.3

「話題呼ぶ! 大作「アウシュビッツ」 丸木夫妻の大戦の惨禍を描く三部作がついに完成」『週刊読売』1977.3.6

「鈴木柊子『風と私―イスラエル日記』」(紹介)『図書新聞』1977.3.12

千賀正之「解放の方途模索 あらゆる階層の人々と会見し記録」(広河隆一『パレスチナ幻の国境』書評)『図書新聞』1977.3.12

イッサー・ハレル『獣は鎖に繋げ 六百万人殺戮の元凶アイヒマン生け捕り作戦』(原著1975)中田耕治訳、読売新聞社、1977.7.20

小田実「「アウシュビッツ」と「デイール・ヤシン」 「共生」への原理Ⅲ」『展望』1977.9

清水多吉「ヒットラー・錯誤と驕慢の連続体 ブームに拍車をかけるヨアヒム・フェストの記録映画」(フェスト「ヒットラー、ある経歴」映画評)、『週刊読書人』1977.10.3

ヨハンナ・ライス『シニとわたしのいた二階』(原著1972年)、前川純子訳、冨山房、1977.12

1978年

ルーシー・ダビドビッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか 第一部』(原著1975)、大谷堅志郎訳、サイマル出版会、1978

ワンダ・プウタフスカ『そして私は夢を恐れる ナチ収容所少女生体実験の手記』、岩淵正嘉訳、世紀社出版、1978

舟生素一「ヒトラーのユダヤ人大虐殺に新説!」『週刊読売』1978.1.29

エリ・ヴィーゼル『沈黙のユダヤ人 ソビエト・ロシア旅行から帰って』(原著1966年)、村上光彦訳、白水社、1978.2

母袋夏生「「シニとわたしのいた二階」「あのころはフリードリヒがいた」とホロコストの文学」『月刊イスラエル』1978.2

熊田亨「平和よ、もし汝を思いいでずば 中東戦争三十年の展望と問題性」『世界』1978.2

「討論 中東和平の将来とパレスチナ」(板垣雄三、広河隆一、津村光信、丸山直起、浅井信雄)『世界』1978.2

福島醇子「ユダヤ人少女の体験軸に」(ヨハンナ・ライス『シニとわたしのいた二階』紹介)、『週刊読書人』1978.3.20

「テレビ朝日 「ルーツ」のあとは「ホロコースト」」『週刊読売』1978.5.28

板垣雄三「ナチズムとイスラエル」『世界』1978.7

「『ルーツ』を凌ぐ今年最大の話題作 大虐殺(ホロコースト)第1回 悲劇は結婚式の晴舞台から始まった!」『週刊ポスト』1978.7.28

「上海難民事件 ユダヤ人を作った元日本外交官〔柴田貢〕」『サンケイ新聞』1978.8.5

朝日新聞東京本社企画部編『「アンネの日記」展図録』、1987.8

ジェラルド・グリーン『ホロコースト 戦争と家族』(上・下)(原著1978年)、中村保男訳、パシフィカ、1978.8.10

「『ルーツ』を凌ぐ今年最大の話題作 大虐殺(ホロコースト)最終回 六百万の死者、ヴァイス家ではルディだけが残った」『週刊ポスト』1978.9.1

「ホロコースト 戦争と家族 全米を衝撃の渦におとしいれた超話題作 虐殺と人間愛」『週刊明星』1978.9.10

1978.10.5-8 テレビドラマ「ホロコースト」テレビ朝日で連夜放送

北沢正雄「ユダヤ〝大虐殺〟の記録 ジェラルド・グリーン『ホロコースト』」『サンデー毎日』1978.10.28

淀川長治「ここまで知らされた「ホロコースト」の心臓をつきさす恐怖」『スクリーン』1978.11

鈴木志郎康「家庭と社会のあり方を考えさせられる「ホロコースト」」『映画テレビ技術』1978.11

滝いく子「アンネはなぜ ナチスに殺された一少女の声が今も アンネの日記展が子どもたちの胸によびおこした感動は」『文化評論』1978.11

R・J・ツヴィ・ベルブロウスキー「イスラエルへの曲解 板垣雄三氏に反論する」『世界』1978.11

山本一郎「《フランス》「ホロコーストはデッチ上げ」『世界週報』1978.11.21

1979年

ルーシー・ダビドビッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか 第二部 大虐殺<ホロコースト>』(原著1975)、大谷堅志郎訳、サイマル出版会、1979

「出版コンフィデンシャル 〝古典〟になったものも 戦後のロングセラーをたどる①」(『アンネの日記』について)、『週刊読書人』1979.3.19

金田文夫、皆藤幸蔵「アンネの日記 映画と実録」『スクリーン』1979.4

「アンネの日記 写真集」『スクリーン』1979.4増刊号(淀川長治「「アンネの日記」はこうして映画化された」、筈見有弘「映画「アンネの日記」の監督 巨匠ジョージ・スティーヴンズ」、皆藤幸蔵「アンネ・フランク 15年の生涯」、境治男「アンネの隠れ家へご案内」、和久本みさ子「「アンネの日記」映画鑑賞てびき」、永千絵「アンネ・フランクさま」、大前淳子「シナリオ採録による「アンネの日記」完全ストーリー」

安積鋭二「シオニズムとアンティセミティズム」『レファレンス』1979.4

加藤周一「山中人閒話 〈ホロコースト〉について」『朝日ジャーナル』1979.4.6

ハロルド・ソロモン「ナチズムとイタガキズム」『中東通報』1979.5

セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(原著1978年)、赤羽龍夫訳、草思社、1979.5.21

「法王、アウシュビッツに祈る」『朝日新聞』1979.6.8夕刊

「旧ナチ強制収容所跡を訪問 パウロ二世」『読売新聞』1979.6.8夕刊

鈴木明『アウシュヴィッツからの旅』、講談社、1979.6.8

「貫かれた平和国家の〝建前〟 ナチス犯罪の時効廃止」『朝日ジャーナル』1979.7.20

坂西八郎編『ECCE HOMO エクツェ・ホモ ナチ収容所の画家達とA・クリシェヴィッチの証言』、エイジ出版、1979.7.25

M・トケイヤー、M・スウォルツ「フグ極秘計画ーユダヤ難民を活用せよ」『文藝春秋』1979.8

船戸満之「〝犯罪人ヒトラー〟 特異な人格にまきこまれた第三帝国史」(ハフナー『ヒトラーとは何か』書評)、『週刊読書人』1979.8.6

笈川博一「忘れられないが、国民に風化現象も ナチス犯罪時効廃止にイスラエルの反応」『世界週報』1979.8.7

G・シェーンベルナー編『黄色い星 写真ドキュメント ユダヤ人虐殺1933-1945』、池田芳一訳、自由都市社、1979.11.15

松谷みよ子『私のアンネ=フランク』、偕成社、1979.12

1980年

宮田光雄「いかに生きるか1 『夜と霧』の世界」『福音と世界』1980.1

浜村道哉「成果を見せた新演出 民芸「アンネの日記」」『テアトロ』1980.2

板垣雄三「ナチズムとシオニズム 「ホロコースト」の重大な落とし穴」『フィラスティン・ビラーディ』1980.2

乾侑美子「母と子の深い溝 「戦争」に正面から取り組むが・・・」(松谷みよ子『私のアンネ=フランク』書評)『図書新聞』1980.2.2

篠田浩一郎『閉ざされた時空 ナチ強制収容所の文学』、白水社、1980.2.5

プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終らない あるイタリア人生存者の考察』(原著1958年)、竹山博英訳、朝日新聞社、1980.2.20

安藤美紀夫「鋭く深い内なるものへの告発 アンネに呼びかける中学生の少女」(松谷みよ子『私のアンネ=フランク』書評)、『週刊読書人』1980.3.3

池田芳一「内なるアウシュビッツと難民 「死者の書」が問う現代人の原罪」『朝日ジャーナル』1980.3.7

ヘルムート・ラック「西ドイツの新しい変化 国家に対して後ろめたさを持たない若者の出現」『朝日ジャーナル』1980.3.7

「やっと日の目見たアイヒマンの日記」『世界週報』1980.3.18

山本和平「プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』」書評『朝日ジャーナル』1980.4.4

鈴木均「試めされる人権感覚 インドシナ難民に関する本を読んで」(竹田遼『洋上のアウシュヴィッツ』書評)、『週刊読書人』1980.4.7

「特集 アウシュビッツ・ヒロシマ・パレスチナ」『フィラスティン・ビラーディ』1980.8(山本美佐子「パレスチナの老婆の訴え」/甲斐静馬「アウシュビッツ・広島・パレスチナ」/北沢洋子「アパルトヘイトとパレスチナ」/田中稔男「アラブ蔑視の〝西欧的教養〟の弊害」/奈良本辰也「人類の連帯は差別の払拭から」/田村隆治「殺害よりも悲惨な迫害」/土井正興「パレスチナ人は政治悪の審判者」/石垣綾子「気力溢れるパレスチナ人キャンプ」/いいだもも「埋葬されたものがすべて死んでしまうわけではない」/前田慶穂「シオニズムの理論 生きている選民意識とファッショ性」/阪東淑子「1978年の暑い夏 「私のアンネ=フランク」を読んで考えたこと」/「丸木俊さん(画家)が語る 歴史に刻む虐殺の図」

早乙女勝元『アウシュビッツと私』、草土文化、1980.8.15

山崎馨「アンネ・フランクと子どもたち」『歴史地理教育』、1980.11

板垣雄三「特集 初めてパレスチナ問題にふれる人のために ナチズスとパレスチナ」『フィラスティン・ビラーディ』1980.11

樋口恵子「イスラエル元首相の自伝 ユダヤ人という、女という運命への挑戦」(ゴルダ・メイア『回想録 運命への挑戦』書評)、『週刊読書人』1980.11.17

1981年

「アウシュビッツ収容所の身代わり神父〔コルベ〕」『週刊サンケイ』1981.1.3

斎藤英夫「本棚のトピックス」(S・ミルグラム『服従の心理 アイヒマン実験』評)『看護』1981.3

村山盛忠「イスラエル批判がなぜ反ユダヤになるのか 宮沢正典氏への公開論争」『フィラスティン・ビラーディ』1981.5

岩渕正嘉編『蝶はもう飛ばない テレジンの小さい画家たち』、造形社、1981.9.30

1981.11.5 千葉茂樹「アウシュビッツ愛の奇跡 コルベ神父の生涯」公開

「アウシュビッツ 愛の奇跡 コルベ神父の生涯」グラビア『キネマ旬報』1981.12月上旬

「戦時外交官秘話 本省の訓令に背いてポーランド系ユダヤ人にビザ発給 41年ぶりに明るみに出た杉原千畝元リトアニア領事の勇気ある決断」『週刊朝日』1981.12.11

1982年

「アウシュビッツ 愛の奇跡 コルベ神父の生涯」映画紹介『キネマ旬報』1982.2月上旬

エマヌエル・リンゲルブルム『ワルシャワ・ゲットー 捕囚1940-42のノート』(原著1958)大島かおり、入谷敏男訳、みすず書房 1982.2.20

ローレンス・ランガー『ホロコーストの文学』(原著1975年)、増谷外世嗣、石田忠、井上義夫、小川雅魚訳、晶文社、1982.2.20

河合寿雄「アウシュヴィッツ理解の試み ウィリアム・スタイロンの『ソフィの選択』論」『アメリカ研究』第16号、1982.3.25

池田浩士「文学的想像力と圧倒的現実 絶望的怒りを越えて」(ローレンス・ランガー『ホロコーストの文学』書評)『図書新聞』1982.4.17

今野敏彦「極限下の記録 抵抗し処刑された歴史学者の歴史行為」(E・リンゲルブルム『ワルシャワ・ゲット―』書評)『図書新聞』1982.4.17

黒川万千代『「アンネの日記」への旅』、労働旬報社、1982.4.30

矢代梓「『ひと切れの空』の放映 8時間のドイツ版『ホロコースト』」、週刊読書人1082.5.17(フランツ・ペーター・ヴィルト監督、ヤニナ・ダヴィドヴィチ原作の映画「ひと切れの空(Ein Stück Himmel)」のドイツ本国での反響について)

1982.6.6 イスラエル、レバノンに侵攻

篠田浩一郎「ローレンス・ランガー『ホロコーストの文学』」『朝日ジャーナル』1982.6.4

村上義雄「イスラエルを恥じるユダヤ人女性の「夜と霧」」『朝日ジャーナル』1982.7.2

清水学、中堂幸政、森詠、岡倉徹志、東壮一、黒田美代子、関寛治「パレスチナはどうなるか ホロコースト・イン・レバノン戦慄の侵攻作戦」『フィラスティン・ビラーディ』1982.7

岡倉徹志「イスラエルのジェノサイド」『世界』1982.8

1982.9.16-18 サブラー・シャティーラ事件

「テルアビブ報告 つきまとう「民族絶滅恐怖症」がイスラエル国民を戦争に駆り立てる」『朝日ジャーナル』1982.9.24

1982.10.2「悪魔のホロコースト」(1976年、イタリア)公開

岡倉轍志「ホロコーストと新和平構想」『世界』1982.11

「悪魔のホロコースト」映画評『キネマ旬報』1982.11月下旬

1983年

「特集 ホロコーストとキリスト教」『福音と世界』1983.1(森野善右衛門「ホロコースト以後の神学」/秋月辰一郎「人間をみつめて」/深津文雄「人間切捨ての臨調に挑む」/柏井宣夫「聖戦の伝統とイザヤの非戦論」/武田武長「教会問題としてのユダヤ人問題」)

1983.1.25 クラウス・バルビー逮捕

「話題 ユ・ダ・ヤ・人」(広河ルティ『私のなかの「ユダヤ人」』について)『図書新聞』1983.1.29

「ナチ戦犯バルビーの今後は・・・」『朝日ジャーナル』1983.2.2

「波紋を呼ぶバルビーの帰還」「バルビーたちの保護者たち」『朝日ジャーナル』1983.3.4

「われらが「はらから」アイヒマン」『朝日ジャーナル』1983.3.4

キティー・ハート『アウシュヴィッツの少女』(原著1981年)、吉村英朗訳、時事通信社、1983.4.10

「アート・バックウオルドの逆説世界 ナチ戦犯を〝拷問〟せよ」『朝日ジャーナル』1983.4.15

篠原正瑛「ニュルンベルクからの報告 ヒトラーの〝廃墟〟で開かれた反核法廷」『朝日ジャーナル』1983.4.22

滝川勉「内在的発展に焦点を置いて歴史的に把握 血と土地の結合としての入植村落を研究」(大岩川和正『現代イスラエルの社会経済構造 パレスチナにおけるユダヤ人入植村の研究』書評)、『週刊読書人』1983.5.30

伊藤比呂美「アウシュビッツ ミーハー」(詩)『海』1983.7

カジミェシュ・モチャルスキ『死刑執行人との対話』(原著1977)小原雅敏訳、恒文社、1983.7.30

早乙女勝元『母と子でみるアウシュビッツ』、草の根出版界、1983.8.10

ウィリアム・スタイロン『ソフィーの選択Ⅰ・Ⅱ』(原著1979年)、大浦暁生訳、新潮社、1983.10.25/11.25

今村楯夫「ホロコーストの文学」『英語青年』1983.11

アドナン・オムラン、中谷武世「「アラブ連盟とアラブ協会」の密接な基本関係に就いて 広島に於けるアウシュビッツ記念館建設計画は中止さるべきである」『民族と政治』1983.11

田川健三「アルベール・メンミ『イスラエルの神話ーユダヤ人問題に出口はあるか』」書評『朝日ジャーナル』1983.12.2

1984年

佐藤建生「「ホロコースト」の放映と西ドイツ社会の反応」『国際地域研究』1984.5

佐古純一郎「その生涯鮮明に 日本での宣教にも一章割く」(ダイアナ・デュア『コルベ神父 アウシュヴィッツの死』書評)『図書新聞』1984.5.5

「燃える中東 レバノン報告 ユダヤ人の「ゲットー政策」に今日も抵抗の弾丸が飛ぶ」『朝日ジャーナル』1984.5.11

早乙女勝元編『母と子でみるアンネ・フランク 隠れ家を守った人たち』、土草文化、1984.6.10

ヘレン・エプスタイン『ホロコーストの子供たち』(原著1979年)、マクミラン和世訳、朝日新聞社、1984.6.20

権田萬治「ナチとからめた現代的な吸血鬼譚」(F・ポール・ウィルソン『城塞』紹介)『週刊読書人』1984.9.3

清水昶「「明かるさ」を求めることも病気 世代の違いと言っていいものかどうか」(伊藤比呂美『感情線のびた』書評)『週刊読書人』1984.9.3(伊藤比呂美の詩「アウシュビッツ ミーハー」に言及)

高橋晄正「〝人を物と見る思想〟を撃つ 肥大した生産至上主義のなかで」(高杉晋吾『日本のアウシュウィッツを追って』書評)『図書新聞』1984.9.8

篠原正瑛『ドイツにヒトラーがいたとき』、誠文堂新光社、1984.9.25(第三章「ユダヤ人と私」)

森下忠「アイヒマン裁判とテルアヴィヴ空港事件」『判例時報』1984.10.21

1985年

なだいなだ「二度目の出会い 『アンネの日記』」『悠』1985.1

宮沢徹「歴史の空白を埋める貴重な資料」(篠原正瑛『ドイツにヒトラーがいたとき』書評)『図書新聞』1985.1.12

「ユダヤ難民五〇〇〇人に〝命のビザ〟 イスラエル政府 元日本外交官〔杉原千畝〕を表彰 日本経由脱出助ける 迫るナチ リトアニアから 昭和十五年夏」『東京新聞』1985.1.17

「人道的見地からビザ発給 命をかけユダヤ人救う 元日本領事〔杉原千畝〕 イスラエル政府が表彰」『神奈川新聞』1985.1.19

「ユダヤ人六千人を救ったビザ 四五年前、東欧駐在の外交官だった杉原千畝さんをイスラエルが表彰 本国訓令に背き発行 ナチスに殺される! 処分覚悟、手書きで」『サンケイ新聞』1985.1.24

伊藤比呂美「アウシュビッツ ミーハー」『テリトリー論』思潮社、1985.4.30

飯吉光夫「「アンネの日記」終わって「ベルリン日記」 「インゲは十八歳で愛を知らなかった。それが今ではすべてを知っている。六十回も凌辱をくりかえされて」―四十年前、ベルリン解放直後のなまなましい日記が、いま西独でベストセラー」『新潮45』1985.7(ルート・アンドレーアス=フリードリヒ『舞台ベルリン』をめぐって)

エマニュエル・レヴィナス、アラン・フィンケルクロート(対談)「虐殺は誰の責任か イスラエルーー倫理と政治」、内田樹訳、『ユリイカ』1985.8

小谷瑞穂子『十字架のユダヤ人』、サイマル出版会、1985.9

小橋靖「ユダヤ難民を救った「生命(いのち)のビザ」」『時の課題』1985.9

宮澤浩一「ナチス犯罪の追及と西独の刑事司法 われわれ自身を見直すために」『世界』1985.9

平和博物館を創る会〈ピースタイル運動〉編『アウシュヴィッツの記憶』、三省堂、1985.9.25

「人類の貴重な資料 四〇〇万人虐殺の写真集」(平和博物館を創る会・平和のアトリエ編『アウシュヴィッツの記録』書評)『図書新聞』1985.10.19

久米博「ユダヤ的本質を探究 レヴィナスの思索の基盤を明らかに」(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』書評)、『週刊読書人』1985.11.11

「元外交官〔杉原千畝〕に感謝の植樹祭」『朝日新聞』1985.11.29

永井智雄「戦後新劇の名舞台27 ペーター・ヴァイス「追究」 ファシストの舌は長く、記憶は短い・・・・・・」『悲劇喜劇』1985.12

「ひと ユダヤ人を救出した外交官〔杉原千畝〕に感動 イスラエルに記念の森を作った 小橋靖(こはし・やすし)さん」『朝日新聞』1985.12.13

前田慶穂「だれがアンネを見殺しにしたのか ホロコースト・シオニズム・アメリカ」、広河隆一編『ユダヤ人とは何か 「ユダヤ人」Ⅰ』所収、三友社出版、1985.12.15

1986年

ゲオルク・ピヒト『いま、ここで アウシュヴィッツとヒロシマ以後の哲学的考察』(原著1980)斎藤義一監修、法政大学出版局、1986.2.20

エティ・ヒレスム『エロスと神と収容所 エティの日記』(原著1981年)大社淑子訳、朝日新聞社、1986.2.20

『荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文』、岩波ブックレット、1986.2.20

保阪正康「もうひとつの『アンネの日記』」『新潮45』1986.4(エティ・ヒレスム『エロスと神と収容所』評)

レオ・クーパー『ジェノサイド』(原著1981年)、高尾利数訳、法政大学出版局、1986.8.1

関場理一「日本人のイスラエル観」、広河隆一編『ダイヤモンドと死の商人 「ユダヤ人」Ⅱ』所収、三友社出版、1986.10.25

ホルヘ・センプルン『なんと美しい日曜日Ⅰ・Ⅱ』(原著1980年)、榊原晃三訳、岩波書店、1986.11.17

「皆藤幸蔵訳から三十四年『アンネの日記』 深町真理子・新訳が伝えるアンネ・フランクのメッセージ」『週刊文春』1986.11.27

深町眞理子「新訳『アンネの日記』の翻訳を終えて」『文藝春秋』1986.12

宮田光雄『アウシュヴィッツで考えたこと』、みすず書房、1986.12.15

1987年

柳田邦男「1987年の「アンネの日記」」『週刊文春』1987.4.9

「「アンネの日記」感想文入選発表」『文藝春秋』1987.5

広瀬隆「イスラエル国家の正体に迫る 広河隆一『破断層』の哲学」『週刊読書人』1987.5.4

雨宮栄一『ユダヤ人虐殺とドイツの教会』、教文館、1987.5.11

タデウス・シマンスキ『恐怖のアウシュヴィッツ 生き証人は語る』(1986年の講演録)、永井清彦編、岩波ブックレット NO.93、岩波書店、1987.7.20

藤村信「パリ通信 バルビイ裁判のなかのフランス」『世界』1987.8~10

ミープ・ヒース『思い出のアンネ・フランク』(原著1987年)、深町眞理子訳、文藝春秋、1987.8.1

大野英二「過ぎ去ろうとしない過去」、『世界』1987.9

笈川博一「120万人の虐殺者〝イワン雷帝〟裁判傍聴記」『諸君』1987.10

エリー・ヴィーゼル(インタビュー)、村上光彦(聞き手)「過去の記憶が、未来を救う アウシュヴィッツとヒロシマのはざまで」『世界』1987.10

村上光彦「ヴィーゼル訪日」『みすず』1987.10/11

みやこうせい「ユダヤ人抹殺の大悲劇を胸にたたんで ルーマニアの小さな町の人々はいま」『中央公論』、1987.12(エリー・ヴィーゼルの故郷シゲトについて)

1988年

アンネ・フランク財団編『目でみる「アンネの日記」』文藝春秋、1988.2.10(深町眞理子「時代を超えて語りかけてくるもの アンネ・フランクの世界と私」)

鈴木敏「アウシュビッツに誓う「平和」と「連隊」」『朝日ジャーナル』1988.2.12

藤村信『夜と霧の人間劇 バルビイ裁判のなかのフランス(パリ通信)』、岩波書店、1988.2.26

「アウシュビッツの女囚」グラビア『キネマ旬報』1988.3月上旬

早乙女勝元、落合恵子、吉田真由美、筑紫哲也「『アウシュビッツの女囚』シンポジウム、戦争、女、歴史、いま・・・を考える」『朝日ジャーナル』1988.3.11

西谷修「技術と近代的人間との出会い」(特集・ハイデガーとナチズム)『週刊読書人』1988.4.25(藤村信『夜と霧の人間劇』にも言及)

井上ひさし「ある少女の二年間」『世界』1988.6

武田龍夫『アウシュビッツ幻想紀行』、サイマル出版会、1988.7

ペーター・ジェフロスキー『お父さん、戦争のとき何してたの ナチスの子どもたち』(原著1987)マサコ・シェーンエック訳、二期出版、1988.8.15

早川紀代「ワンダ・ヤクボフスカとナチズム」『歴史評論』1988.9

大石芳野『「夜と霧」をこえて ポーランド・強制収容所の生還者たち』、日本放送協会、1988.9.20

芝健介「ナチ「ユダヤ人」迫害史に対する日本の歴史学のとりくみ」『歴史学研究』1988.10

グラビア「見つめてみよう歴史の重み 「心に刻むアウシュヴィッツ展」」『あけぼの』1988.10

フランツ・レーザー『ユダヤ人を生きる 20世紀の煉獄=アウシュビッツ、ヒロシマを超えて』(原著1986、原題 Sag nie, du gehst den letzten Weg)中島敏監訳、徳間書店、1988.12(?)

篠輝久『約束の地への長い旅』、リブリオ出版、1988.12.10

大石芳野『夜と霧は今』、用美社、1988.12.15

1989年

下村由一「排除・収奪・集中・絶滅 社会史への沈潜と歴史展開過程を考察」(大野英二『ナチズムと「ユダヤ人問題」』書評)『図書新聞』1989.1.21

森岡正博「超医療管理国家の思想 ナチズムを背後から支えたもの」(米本昌平『遺伝管理社会 ナチスと近未来』(弘文堂、1989年)書評)『週刊読書人』1989.5.1

城北・東人権フェスティバル〝心に刻むアウシュヴィッツ展〟実行委員会「大きな反響をよんだ〝アウシュヴィッツ展〟」『ヒューマンライツ』1989.7

本島等「アウシュヴィッツ展を見て」『聖母の騎士』1989.9

木佐茂男、丹羽正夫「西ドイツの『アンネの日記』読書判決をめぐって」『判例時報』1989.11.21

1990年

土井敏邦「広島 幻と消えた「アウシュビッツ記念館」」『朝日ジャーナル』1990.1.19

川崎修「ユダヤ人問題とナチズム 「社会」を外部から異化する隠された伝統」(ハナ・アーレント『パーリアとしてのユダヤ人』書評)『週刊読書人』1990.2.12

キャロル・リトナー編『ホロコーストの記憶 エリ・ヴィーゼルが問うもの』(原著1990)滝川義人訳、サイマル出版会、1990.8

望田幸男『ナチス追及 ドイツの戦後』、講談社、1990.8.20

船戸満之「ナチズム相対化の動きに抗して 第一の罪を心理的に抑圧する第二の罪の告発」(ラルフ・ジョルダーノ『第二の罪 ドイツ人であることの重荷』書評)『図書新聞』1990.9.22

中村幹雄「ナチズムという過去の克服 なおも継続さるべき課題、統一ドイツの行方にも示唆的」(リチャード・ベッセル『ナチ統治下の民衆』書評)『図書新聞』1990.9.22

矢代梓「事態はむしろ悪化している 「ナチ党員ハイデガー」――この事実を認めた上で彼の思索を考察せよ」(ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』書評)『図書新聞』1990.10.13

小林敏明「ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』を読む」/矢代梓「ハイデガーとナチズム問題にふれて」『週刊読書人』1990.10.29

1991年

秦剛平「反ユダヤ主義の根源に遡る 弁護士の視点から問題の核心へ」(W・フリッケ『法律家の見たイエスの裁判』書評)『週刊読書人』1990.3.4

I・ドイッチュクローン『黄色い星を背負って ナチ支配下を生きたユダヤ人女性の証言』(原著1978)馬場謙一訳、1991.3.22

宮田光雄『ナチ・ドイツの精神構造』、岩波書店、1991.4.8

那波かおり「収容所時代の真実 大量虐殺から奇跡的に生還した記録 極限状態の中で15歳の少女は何をみたか。」(エヴァ・シュロッス『エヴァの時代 アウシュヴィッツを生きた少女』書評)『図書新聞』1991.6.15

近藤和子「中東和平を脅かすもの ファシズムと化したイスラエル社会の矛盾 極右シオニスト、カハネを通じて」(ロバート・I・フリードマン『ユダヤを剥ぐ』書評)『図書新聞』1991.8.13

木畑和子「強制収容所の医学 子供たちを人体実験そして殺害」(シュヴァルベルク『子供たちは泣いたか ナチズムと医学』書評)『図書新聞』1991.9.14

名取弘文「ワイダが選んだ「コルチャック」 ポーランドの伝説的人物をめぐって」『週刊読書人』1991.9.23

好村冨士彦「ヨーロッパ人の抱くユダヤ人像」(エードゥアルト・フックス『ユダヤ人カリカチュア』書評)『週刊読書人』1993.7.26(訳者(羽田功)はシャイロックに代表される高利貸しとしてのユダヤ人と、アンネ・フランクに代表される軽蔑と迫害の対象としてのユダヤ人という二通りの記号化を問題にし、この二面が連続的にとらえられる場合と、対立的にとらえられる場合とがあるとする。)

河合敦子「A・ヒトラー『わが闘争』 隠語のファシズム」『思想の科学』1991.11

1992年

バーバラ・ロガスキー『アンネ・フランクはなぜ殺されたか ユダヤ人虐殺の記録』(原著1988、原題 Smoke and ashes : the story of the Holocaust)、藤本和子訳、岩波書店、1992.2.25

後藤早知子「「光ほのかにーアンネの日記」の創作」『悲劇喜劇』1992.3

「命のビザの外交官 「功績をたたえる」首相」『朝日新聞』1992.3.14

ゲオルク・ピヒト『続・いま、ここで アウシュヴィッツとヒロシマ以後の哲学的考察』(原著1981)斎藤義一監修、法政大学出版局、1992.3.30

小岸昭「カインの末裔を誰が非難できるか 「記憶」の根源としてのアウシュヴィッツ」(バーバラ・ロガスキー『アンネ・フランクはなぜ殺されたか ユダヤ人虐殺の記録』書評)『図書新聞』1992.4.25

石井正人「問い続けられるホロコースト バーバラ・ロガスキー著/藤本和子訳『アンネ・フランクはなぜ殺されたかーユダヤ人虐殺の記録』にふれて」『週刊読書人』1992.5.25

港道隆「政治と芸術 ハイデッガーとナチズムとの関わりをめぐって」(Ph・ラクー=ラバルト『政治という虚構』、J-F・リオタール『ハイデガーと「ユダヤ人」』書評)『週刊読書人』1992.6.22

笈川博一「ダハウ・ユダヤ人収容所を解放した日系人部隊」『中央公論』1992.8

大久保昭男「ナチズムとユダヤ人問題 ユダヤ人が見出した自分らの生 ファシズムに対する化学の心理」(プリーモ・レーヴィ『今でなければいつ』『周期律』書評)『週刊読書人』1992.10.26

1993年

野村二郎『ナチス裁判』、講談社、1993.1.20

越智和弘「ドイツよ頑張れ! 文学者からみたドイツ右傾化の動き」『図書新聞』1993.2.20

「アウシュビッツの遺品で朝日記者まで手玉に取った「青木進々」というホラ吹き男」『週刊文春』1993.4.29

小岸昭「ユダ人の地中からの叫び ナチズムという生き地獄を引き裂くために」(アブラハム・レビン『涙の杯』書評)『図書新聞』1993.5.1

「ワシントンDCにオープンした大量虐殺(ホロコースト)博物館」グラビア『週刊文春』1993.6.10

ジュディス・S・ニューマン『アウシュヴィッツの地獄に生きて』(原著1963)千頭宣子訳、朝日選書 1993.7.25

「アメリカがつくったホロコースト記念博物館」『芸術新潮』1993.8

ミュラー=ヒル『ホロコーストの科学』(原著1984)、南光進一郎訳、岩波書店、1993.8.6

F・K・カウル『アウシュヴィッツの医師たち ナチズムと医学』(原著1976)日野秀逸訳、三省堂、1993.8.30

立山良司「激動のパレスチナを理解するための本」『週刊読書人』1993.10.11

保坂一夫「植民地支配の光と闇の対立 尊大な劣等民族蔑視に暗示されたナチスの民族理論」(ラインホルト・シュナイダー『カール五世の前に立つラス・カサス』書評)『週刊読書人』1993.10.22

1994年

「シンドラーのリスト」(グラビア)『キネマ旬報』1994.2月上旬

青木冨貴子「U.S.A.通信 スピルバーグは何故ホロコーストの映画を撮ったのか?」『週刊文春』1994.2.24

1994.2.26 スピルバーグ「シンドラーのリスト」公開

「スティーヴン・スピルバーグ作品 シンドラーのリスト」『キネマ旬報』1994.3月上旬

「「アンネの日記・完全版」で初公開! 封印されていたアンネの「赤裸々な性」」『週刊文春』1994.3.24

赤瀬川隼「あ またシネマ彗星だ 「シンドラーのリスト」と「E・T」」『キネマ旬報』1994.4月下旬

渡辺浩「カミンスキーの描いたホロコースト」『キネマ旬報』1994.4月下旬

岩崎稔「〈忘却と想起の技法〉をめぐって アウシュヴィッツを語ることはできるのか」『週刊読書人』1994.5.13

杉原幸子、澤地久枝「六千人のユダヤ人救出 「スギハラのリスト」ぎりぎりの状況で、命を賭した日本外交官の勇気」『文藝春秋』1994.6

「オスカー受賞作「シンドラーのリスト」のリーアム・ニースン」『スクリーン』1994.6

「日記が教えてくれたこと 『アンネの日記 完全版』に寄せて」『新刊展望』1994.6(日色ともゑ「インタビュー「私のアンネ・フランク」」、深町眞理子「知られざるアンネの実像がここに」、小川洋子「死んでからもなお生きつづけること」)

曽野綾子「南京とアウシュヴィッツの違い」『新潮45』1994.6

「ユダヤ人6千人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝の遺徳を汚す遺族の「行状」」『サンデー毎日』1994.6.19

高橋哲哉「〈記憶の戦争〉に法はあるのか 表象不可能な出来事への問い 『シンドラーのリスト』に決定的に欠けているもの」(ソール・フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』書評)『週刊読書人』1994.6.24

富岡幸一郎「シンドラーのリスト 〈あとに〉きた者の祈り」『映画芸術』1994夏

小川洋子「アンネの日記を拾い集めた人」『群像』1994.7

第二次世界大戦終結50周年

A・ナゴルスキー「『シンドラーのリスト』とポーランド」『中央公論』1994.8

山本牧「満州ユダヤ脱出行 将軍・樋口の決断」『北海道新聞』1994.8.16~31、15回連載

堀茂樹「「シンドラーのリスト」は歴史的真実を歪めている?」『キネマ旬報』1994.8月下旬

清水多吉「ナチス犯罪を比較可能なものとし、相対化することの是非を問う」(永岑三千輝『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆』書評)『図書新聞』1994.10.22

西成彦「絶滅と鎮魂15 イディッシュ文学探訪 トランスヨーロッパ篇 詩人の竪琴 「アウシュヴィッツ以降に詩を書くこと」の野蛮とは何なのか」『週刊読書人』1994.10.28

西成彦「絶滅と鎮魂16 イディッシュ文学探訪 トランスヨーロッパ篇 追憶のヴィルニュス 異郷の詩人たちによってノスタルジーの泉となった都市の幻影」『週刊読書人』1994.11.4

西成彦「絶滅と鎮魂17 イディッシュ文学探訪 トランスヨーロッパ篇 モラルの試練 ホロコーストをスターリニズムを生き延びたものの共犯性」『週刊読書人』1994.11.11

西成彦「絶滅と鎮魂19 イディッシュ文学探訪 トランスヨーロッパ篇 恐るべき孤児 寓意的なホロコースト文学の技法としての冒険小説の形式」『週刊読書人』1994.11.25

西成彦「絶滅と鎮魂20 イディッシュ文学探訪 トランスヨーロッパ篇 死者たちの弁護 さまよえる東ヨーロッパ系ユダヤ人ヴィーゼルのこだわり」『週刊読書人』1994.12.2

1995年

1995.1 ランズマン「ショア」、東京日仏学院で特別上映

西岡昌紀「戦後世界最大のタブー ナチ『ガス室』はなかった」『マルコポーロ』1995.2

平瀬徹也「ヴィシー期を多面的に紹介 豊富な事実の裏付けをともなって」(渡辺和行『ナチ占領下のフランス 沈黙・抵抗・協力』書評)『週刊読書人』1995.2.24

石田靖夫「ランズマン『ショア』上映にむけて 死者が「二度」死なぬために」『図書新聞』1995.3.11

三島憲一「アウシュヴィッツ解放五〇周年にふれて 語ることの困難さ ドイツからの報告」『週刊読書人』1995.3.24

「エリ・ヴィーゼル ホロコーストを生き延びた者として」(浅野素女によるインタビュー)『中央公論』1995文芸特集春季号

矢代梓「独自なアプローチが読み取れる分析 曾祖父の反ユダヤ主義に対する批判」(C・ダールハウス『リヒャルト・ワーグナーの楽劇』、ゴットフリート・ワーグナー『ワーグナーと人種差別問題』書評)『週刊読書人』1995.5.19

小林敏明「ドイツ通信 終戦の日 シナゴーグの憂鬱」『週刊読書人』1995.5.26

『現代思想』特集号「ショアー 歴史と証言」、青土社、1995.7

ピエール・ヴィダル=ナケ『記憶の暗殺者たち』(原著1987)、石田靖夫訳、人文書院、1995.7.5

「特集 映画「ショアー」をめぐって 歴史の「無菌化」に抗して」(高橋武智によるクロード・ランズマンへのインタヴュー)/細見和之「言語の闇をくぐり抜けて 膨大な声と沈黙によって喚起されるわれわれの「問い」」(クロード・ランズマン『SHOAH』、鵜飼哲、高橋哲哉『「ショアー」の衝撃』書評)『週刊読書人』1995.7.7

村上光彦「静寂の奥に響く叫喚 風景に死者の記憶が深く染み透る」(ディルク・ライナルツ写真、Ch・フォン・クロッコフ文『死の沈黙』書評)『週刊読書人』1995.7.7

「ユダヤ人虐殺を巡る映画「ショア」の監督 クロード・ランズマン」(北小路隆志によるインタビュー)『キネマ旬報』1995.7月下旬

矢代梓「ドイツにおける過去の克服」(J・ハーバーマス、E・ノルテ『過ぎ去ろうとしない過去 ナチズムとドイツ歴史家論争』書評)『週刊読書人』1995.8.18

「「ショア」、静かなブームに」『キネマ旬報』1995.8月下旬

「現代史をつくった舞台9 アウシュヴィッツ(ポーランド)」『中央公論』1995.9(大村次郷によるグラビア、保阪正康「二十世紀の「絶対的悪」」)

加藤尚武「ハイデガーの地獄から抜け出すために」(フーゴ・オット『マルティン・ハイデガー』書評)『週刊読書人』1995.9.1

香川檀「ドイツの良心を支えるもの ヴァイツゼッカーのキリスト者としての横顔」(ヴァイツゼッカー『良心は立ち上がる』書評)『図書新聞』1995.9.16

市野川容孝「ナチズム期の安楽死問題を論じる 現在の問題にかかわる歴史の発掘」(小俣和一郎『ナチス もう一つの大罪 「安楽死」とドイツ精神医学』書評)『週刊読書人』1995.9.29

港道隆「「証言」の不可能性と可能性 不可能性の淵に発せられる言葉と思惟」(サラ・コフマン『窒息した言葉』『オルドネル通り、ラバ通り』書評)『図書新聞』1995.9.30

小岸昭「平均的ドイツ人の普遍的ナチズム像 微視的アプローチによって肉薄」(山本秀行『ナチズムの記憶』書評)『図書新聞』1995.9.30

小林直哉「死者たちの告発 「アウシュヴィッツ展」」『ひろばユニオン』1995.10

杉本直美「アンネの日記」(東宝アニメ作品 映画評)『キネマ旬報』1995.10月上旬

ティル・バスティアン『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』(原著1994)石田勇治、星乃治彦、芝野由和編訳、白水社、1995.11.9

「アンネの日記」(東宝アニメ作品 映画評)『キネマ旬報』1995.11月下旬

高橋順一、高橋哲哉(対談)「戦後50年 戦争の記憶をめぐって」『週刊読書人』1995.112.22

1996年(この年以降は選択的)

特集「ショア」『映画芸術』1996.1(佐藤真「大きな円環を持った構成の中で、「ホロコーストの現在」を訴える」、江守洋「ただごとでない『ショア』に対し、敢えて思ったこと」、中川洋吉「消去された痕跡を掘り起し、想起し、内に留めること」)※同号では「特集 南京大虐殺」も組まれ、以下を掲載している。汪暁志「『南京大虐殺』の監督 呉子牛を訪ねる」、汪暁志「南京大虐殺STORY」、劉偉宏「現地ロケ 『南京大虐殺』の主演女優 早乙女愛を訪ねて」

渾大防一枝「『アンネの日記』の四十年」『悲劇喜劇』1996.8

マイケル・ベーレンバウム『ホロコースト全史』(原著1993)芝健介監修、創元社、1996.8.10

エヴァ・ルトコフスカ、アンジェイ・ロメル「ユダヤ人六千人の命を救った日本のシンドラー杉原千畝「美談」の陰に」(大鷹節子による要約)『諸君』1996.9

マイケル・R・マラス『ホロコースト 歴史的考察』(原著1987)長田浩彰訳、時事通信社、1996.9.10

1997年

Mutsuo Fukushima, ‘20,000 given passage in China. Japanese trio aided fleeing Jews in 1938’, Japan Times, 1997.1.17

加藤典洋「語り口の問題 ユダヤ人問題とはわれわれにとって何か」『中央公論』1997.2

ラルフ・ジョルダーノ『第二の罪 ドイツ人であることの重荷』(原著1987)永井清彦、片岡哲史、中島俊哉訳、白水社、1997.7

1997.7.24 ランズマン「ショア」一般公開

「SHOAH」(劇場公開予告)『キネマ旬報』1997.8月上旬

霜山徳爾「フランクルと私」『みすず』1997.10

ラウル・ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(上・下)(原著1985)望田幸男、原田一美、井上茂子訳、柏書房、1997.11.30

1998年

西間木洋子「NY発 ブロードウェイで『アンネの日記』に主演中 ナタリー・ポートマン」『スクリーン』1998.2

マルセル・リュビー『ナチ強制・絶滅収容所 18施設内の生と死』(原著1995)菅野賢治訳、筑摩書房、1998.3.25

山田正行「青少年の平和学習と市民の創る博物館 心に刻むアウシュヴィッツ展に即して」『月刊社会教育』1998.8

1999年

「ライフ・イズ・ビューティフル 家族愛と生命の素晴らしさを描くベニーニの監督・主演作」『スクリーン』1999.5

馬場啓一「聖なる嘘つき その名はジェイコブ ホロコーストをフォークロアに昇華させる試み」『キネマ旬報』1999.12下

2000年

「99年観客に最も愛された感動作「ライフ・イズ・ビューティフル」」『スクリーン』2000.2

2000.2.5 エイヤル・シヴァン「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」(1999)公開

田中千世子「アイヒマン裁判は何を明らかにしたのか」(「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」評)『映画芸術』2000夏

2001年

霜山徳爾「山本七平氏のこと」『時のしるし 霜山徳爾著作集7』、学樹書院、2002

2002年

2003年

ミルトス編集部「ユダヤ人と日本人の物語 樋口季一郎とオトポール事件 ユダヤ難民を初めて救った日本人」『みるとす』2003.6